madeingermany

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...... 2012年01月24日 の日記 ......
■ 納豆の話   [ NO. 2012012401-1 ]
茨城産だという納豆を食べてみました。頂き物でして、大変美味しく、大豆の美味さとタレの美味さと、プラス納豆菌の美味さが引き立っていました。近所のスーパーで買う納豆よりボリュームがあったのですが、食べきりました。

よく、「納豆をいかに食べやすく扱うか」「あの匂いをどうするか」などテレビで見ます。自分は物心ついたときから、「混ぜて食べる」事を覚えてきたので、何の抵抗のありません。匂いには敏感な方だと思うのですが、多分いい匂いだと認識しているらしく、気になりません。ネバリもむしろ大歓迎で、ネバリこそ納豆だと思います。



同じクラスの女子は中学生くらいになると、給食に納豆が出ても皆手を付けませんでした。オカズとして納豆が出ているのに、何をオカズにして食べるのだと、自分はお構いなく食べていました。担任が給食で大量に余ったカップ納豆に手を焼いていたので、もらって20個くらい家に持って帰った事があります。

当時から、人目を気にしないで好きなものを好きだと言う人間でした。カバンにカップ納豆をゴロゴロ入れて、嬉しそうに持って帰るのですから、まあ余程の自由人か納豆好きなんだと思います。年頃の羞恥心が納豆に負けたというのでは、その先の人生も読めたようなものでしょう。

(やはり中学生の時理科で、人間の唾液を使う実験があった。班の女子が唾液をガーゼで採取するのを嫌がったので、私は実験を終わらすために、自分の口にガーゼを入れて実験を敢行した。羞恥心より、理科の単位だったらしい。)

関西にいた頃も、周囲が「健康にいいそうだけど、あれは食べない」と言い合っていたのを余所に、頻りに食べていました。京都はお揚げ、豆腐、湯葉、卯の花と大豆の加工品が美味しい土地ですが、納豆の支持率は低めなんでしょうか。(納豆が美しい食べ物だとは自分も思わないが、あの、豆の粒を食べる満腹感と、心まで満たす甘みは生涯の伴侶だと思う、)



冗談抜きで。自分の家は祖父母が農家、父が会社勤めと農家の掛け持ち、母はパートという忙しい家でしたので、手の込んだ御飯が余り出ませんでした。コンビニも田舎なのでなく、お腹が空いても、家に取りあえずあるのはジャーの中の白米だけという状態が結構多かったです。

御飯だけじゃわびしいし、料理が出来る年でもなかったので、冷蔵庫の中に納豆があれば食べていました。混ぜるくらいなら子供でも出来ましたし、温かい御飯との相性は抜群で、腹持ちもいいです。

高橋広樹さんが子供の頃、忙しい母の作る御飯がタマゴかけ御飯だったから、今でもタマゴかけ御飯が好きだとおっしゃっていました。気持ちは分かります。(ももっとトークで話されていた。たっつんが出ていた回で、たっつんのお母さんは凝った料理を作れる方のようらしい。寿司や手作りつみれを、愛息に作られたそうだ。)



延々食べ物の話でしたが、最後にミラトレの新宿ブラザーズに触れます。零二がグルメスポットであったり、(恐らく)吹は自炊派だったり、そんな兄達に囲まれて一はいいなあと思ったりと、夢をみることはなはだしいです。

家族で御飯とか、単純に「美味いものを食べる」とか、それらを実行しないまでも、想像だけでも自分は幸せになれます。(こう書くとアンデルセンのマッチ売りの少女みたいですが、実際はそこそこのものを食べております)自分が感じられる範囲の、些細な幸せを増幅させるためにブラザーズを乱用している気がしますし、実際そうなんでしょう。


平成24年1月24日 竹淵 拝
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