■漱石信者なので、自分の根っこの思想は老荘なんじゃないかなと思います。老荘思想、特に三国時代頃の老荘ブームはすさまじかったです。
(漢が滅んで、儒教的立場で暮らすのが困難になったため。儒教って、別に上下関係ありきともいえないのだけど、漢代は=政治だった。漱石も疲れていたのかもしれない)
竹淵は
表面的には、縦社会そのものの儒教
内面はゆるい老荘思想(ただしゆるく暮らすには金が必要。中国で三国時代頃に老荘や仏教にはまれたのは貴族や金持ち中心だったらしい)
なんとなくキリスト教 (欧米思想が世界を席巻しているため、ニュース等を見ていると思いをはせざるを得ない価値観。
あと、英米文学を読んでいると絶対に念頭にないと読めないので、ある意味必須。モンゴメリの本とか読むと、キリスト教にもいくつか分派があって〜とか何回も出てくる)
そういえば自分の中に、ムーミン教がないんだと思いました。フィンランド、スェーデンと言えば新教の国だと思いましたが、ムーミンの世界にはあんまり出て来ません。神様的な存在は、どうもムーミンの世界には見当たりません。
なにもかも自由なムーミンの世界には、いらない概念なのかもしれません。仏教的な因果応報の考えも、儒教的な男尊女卑の言動もありません。
日本のものって
結局最後は、八紘一宇的な世界を目指しているというか。八紘一宇と言っても完全に平等ではなく、忖度でギッシリの世界で。女はわきまえるものとか、元政治家が普通にいう世界。ゆえに、ムーミン的世界みたいに「干渉しない」「看板はぶち破る」世界とは相容れないのでは
女史の周りの人達はムーミン的なスタイルで押し切れるくらい、才能があったのかもしれませんが。ただのコミュ障、ただのシングルの自分には、漱石みたいに隠れ老荘思想的な方が気持ち的に楽かもしれません。
(なんかムーミンを読む・見るたびに、女史にバカにされまくるヘムル族がかわいそうに思えてならない。女史にはあきれ果てた、好きにならなくても問題ない連中なんだろうけど もし竹淵がムーミン世界にいたら多分ヘルム族だろうと思う) |
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