■中国史好きなので、いくつかあんまり役に立たない事を書いてみます。ちなみに大学一回生の春、担当教授から「東洋史やっても役に立たない」と言い切ってもらっています。確かに、文学部卒で自分の学科にこだわっていると多分生活出来ません。
さて
・日本から皇室がなくなったとする
・時代の流れもあるだろうし、そもそもヨーロッパだと、同じ国でも何々家という流れもあって、大きな意味では続いているけれども、別の人達が王家ですというところも多い。フランスだと、バロワ家、ブルボン家とか
(英国はウィンザー家 日本は神武天皇から同じ)
日本の場合、「家」を表す名字が皇室にはないので、何々家(何々朝)の天皇家というのはないことになるのかな
よく分からないけれど
少なくとも明治維新以降の、
明治時代 大正時代 昭和、平成、令和
という元号という考え方が終わる事になる。某青年は自己紹介の時に、西暦で自分の紹介をしていたが、元号というものの重みを知らないのなら、もう何を言っても無駄かもしれない
元号がどれくらい大事かと言うと
三国志で言うと、曹丕・孫権・劉備はそれぞれ違う元号を使っていた。(この場合年号になるけど)
国が違えば皇帝が違い、元号(年号)が違う。それくらい大きな事になる。昔、天災等があると年号を頻繁に変えたけど、それくらい「時空を司る」的な巨大な意味のある事なんだと思う。
結果として、昭和何年生まれ〜とかいう言い回しが日本で通用し、本来的には、明治維新と言うか、中国の明代から始まった考えで、みんな知っている朱元璋が始めたあれ(中国史の人物はみな知り合いみたいに思える不思議)
多分、一人の皇帝が一つの時空を司るという概念なんだろうと思う。
なんで西洋化を驀進していた明治政府が、中国の明清の考えを採用したのかは分からない。ただすごいのは、明治維新から今まで、日本で明治何年〜、大正何年〜という言い方が通用すること
だからなんなのさと言われると困るのだけど
本家だった中国が清朝の終わりともに元号を採用しなくなったのに、日本でいまだに続いているのは奇跡だと思う。だから?とか言われても、政治家でもない私には分からない。
ただ、元号と言うシステムに対する敬意はあってもいいと思う。一種のおまじない的な要素もあったシステムな上に、ある程度長い「治世」が続かないと使いにくいシステムだけど(江戸時代以前は時間の単位が今より大雑把だったのでOKだった?)、なくすには早いのかなと。Content-Disposition: form-data; name="image"
|
|