無事、知人の知人に行き会えたのですが(コロナ禍なので戸外)。
取りあえず、カプチーノ戦の時の涼介みたいに、
京一が〜 京一は〜 京一は(よく考えると別に栃木最速じゃないかもしれないし、ドラテクもそうだけどメカ重視な部分で、土屋さんからダメだし?されているし、拓海と涼介に負けたし、何かと、「大物ぶっている割に〜」と言われるけど、
右が苦手で何が悪い、ホンダ党・NA・FF・FRでなくてなんだというのだ、こっちは男体山ふもとの日光だ)
とか心に沸きつつ、個人的には滅茶苦茶希釈した振舞いだったと思うんですが、相手を不愉快にさせまいという努力はしました。
いつも思うんですが、原液そのままで振舞って、まあいい事ないなと。それに気が付かないで、原液そのままで振舞っていた中学生の頃が、懐かしく(もなんともありません。田舎なので、一生「根暗のアニメオタク」で過ごすだろうと思います)
知人の知人も、結構なオタクだったので、自分的には有難い数時間でした。しかしこれまたあるあるで、自分が最高〜と思っている事(つまり原液そのまま)は、あんまり人には愉快じゃない時が多い、と思って、月曜からはただの社畜として振舞います。
・・・・京一>生活という意識で暮らすと、「生活」の方の小数点以下の部分がどっか行くので、生きやすくはある。
死ぬ以外はかすり傷と誰か言っていたが、人の頭って同時に二個以上扱えないので、同じ「傷」なら多分、京一>生活の状態の方が、傷負ったままでも生きられる。ありがとうイニD (生活第一だと、小さい傷に「死ぬうう」「痛いい〜」となる) |
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