・下にも書いたんですが
で、トリトンって死んだの?生きているの?シャチは90歳まで生きると言うから、生存説はありだけど。
コミックスだと、「はぐれシャチ?故に、生きるために漁場を荒らしたトリトン」と言う事で、ブラックジャックも「漁場荒らしを助けられない」「友達なのに助けられない」という苦悩の話だったと思う
だから、ピノコに真珠を見せなかったわけだし
テレビアニメで、妙に明夫さんの声が明るいので、ええええ?大丈夫???トリトンの罪と死は??と思って見ていたら。「トリトン無罪&生存」だった。ひたすら、黒男とシャチが仲のいいお話になっていた
うーん OVAだと原作のコミカルさが少ないイメージ。だが、シリアスでエッセンス的には「正しい」
テレビアニメだと「正しい手塚アニメのように、明るく心温まる系」、ただし「コミックスの苦さはめっちゃ少ないので、基本的に別物」
OVA・テレビアニメの視聴者のいずれも、コミックスを読んでいないとは考えにくいので、好みでいいのかなと思います。
・手塚治虫先生って
長編も多いですが、短編の名手でもあるという、名マンガ家の代表みたいな方ですが
短編の「読み心地の悪さ」的なものもあるなと思います。急降下というか、西洋のいわゆる「名画」が残忍な絵である事が多いのを思い出します
だから、アトムも結構残忍で残酷なのに
心温まる!勇気がもらえる!とか言われるのが不思議でなりません。物語としてテンポが異様にいいのはあるとしても、じゃあ「心温まる」かと言えば常時イエスじゃないと思うのです。
ブラックジャックも、いわゆるいい話枠の回も多いですが、大体大事故や、難病、家族の死、苦痛、苦悩等がふんだんにあるので、「勇気が出た!」とは素直に思い難いのでは
多分いい話枠の「もらい水」も
・介護保険もない当時、「お年寄り」の世話は100%「嫁」または「娘」の役目だった。ノーギャラ ブラック
・手瀬間先生の家も、おばあさんの子供はあの医者一人だったと思われる。つまり、あのお嫁さんがばあさんを「介護」「お世話」すべきとされている時代
同居なんかすれば、ばあさんの飯、洗濯、掃除等、みんなあの嫁さんがさせられるのは目に見えている。おばあさんが「あたしがやります」と言っても、同じ家で赤の他人の女がゴチャゴチャしているのは気持ちが悪い
ばあさんと嫁の家事が合わなくてトラブルになれば、面倒臭いことこの上ないので、同居は嫌
恐らく、あの医院はばあさんの配偶者の家であり、家を医院にしたから、ばあさんは医院に住むしかない。あれやこれやの増築で、医院にも子供の家にもいられないばあさん
治虫先生は「女は女」という見方だから分からないと思うけど
介護や家事って、相当しんどい。当時だから女性は70代くらいで亡くなるとしても、母子の愛とか言っていられないくらい、しんどいと思う。
「もらい水」はばあさんと息子の話かもしれないけど、あの嫁の意見も意見としてあるよなと思う。そして、「医者の私が母を老人ホームにいれられない」と言うのも、当時の社会情勢として、「姥捨てだ」「薄情だ」と言われる懸念があったからだと思う。 |
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