趣味だから出来る事として。「ある考え方に没頭する」という事があります。日常では仕事でもプライベートでも、一つ考え方に縛られると痛い目しか見ませんが、二次の世界であれば「一つの考え方」にこだわる事が、ある程度までは可能です
東野圭吾を今読んでいまして、読みながら苦しくなるものが多いです。ですが「考え方にこだわる」所が余所にない良さで、「殺人の門」を先日読みました。主人公がどうやったら幸せになるのかと考えてみましたが、「ある考え方」を貫いてしまう人は、最初から最期まで、さほど幸福になれないと思います。
「幻夜」の雅也の場合は美冬を守りたい気持ちが、「殺人」の田島はお坊ちゃん育ちの甘さが最期まで、本人を苦しめています。「考え方」なんて、人生のタイミングごとに捨てられればいいんですが、捨てると「自分自身」まで失う感じがする人には、「考え」を捨てる事が出来ないと思います。
東野圭吾の本を読んでいると、スッキリした気持ちには到底なりませんが、登場人物達と二人三脚で生きている様な錯覚を覚えます。読ませる、という事はそういう事かもしれません。
入稿したら「麒麟の翼」を見に行きます。電車でも車でも、映画鑑賞の時間より移動時間の方が長いという地域性ですが、まあ仕方ありません。
以下は、「考えにこだわる」という観点からのミラクルトレイン。というか、新宿ブラザーズについてです。
吹は、無駄な努力をしない男じゃないかなと思っています。ニコニコしているから本音は分りにくいですが、例えば都庁前の様に、ブラインドネスな心が溢れているキャラではないだろうなと思います。(LOVE IS BLINDNESS、愛は盲目)
何でそう思うかというと、彼はエスコートボイスCDの中で、女性客に切符を買わせているからです。170円ぽっちの物を女性に買わせるのは、女性に「切符を買う」楽しみを味わって欲しかったからなのか。「駅である自分が切符を買っても仕方ない。この客が一回コッキリしかこない客なら、一回でも一枚でも切符を買え」という意思からなのか。
あと女性に触れる場面でも、他の駅は女性への恋心故に、という勢いが感じられるけれど、吹は「まあ役得だよね。もう一回駅に来てくれれば続きをしてもいいけど、あんた来そうにないし。」という感じがします。全く女性に求めていない感じがしました。
世の中、労力に見合う事はあんまりありません。自分が相手にしてあげた事は大きく見えて、相手からしてもらったことは忘れてしまうのが人間です。だからコスト意識がさけばれたりするのでしょう。そんな当然の事を突き破れる事象の一つが、恋愛や友情だとも言えます。都庁前はそれが出来る男じゃないかなと思います。だから、凛太郎は都庁前を選んだのだろうと。
吹は愛する相手がいるとしても、無駄と感じる労力はそうそう払いません。回収しうる手間を重視します。一や零二を可愛がれば、吹に対して二人が有り難いと感じなかったとしても、二人の成長は新宿エリアの繁栄につながるわけで、迷わず吹は彼等に尽くせます。打算的な態度ですが、それが吹かなと。
どっちみち吹に手間暇かけてもらえる一と、吹にはかなわないと本能的に飲み込んだ零二には、受け入れられるハナシだと思います。凛太郎には、LOVE IS BLINDNESSな都庁前の方が合っていると思いますが。(・・でも可愛い弟2駅にブラインドネスになれる吹も、盲目と言えば盲目の様な気が。)
平成24年2月26日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
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