東野圭吾の「白夜行」を読んでいます。雪穂少女がその後の美冬なら、何故雅也にあそこまで出来たのか、読めば分るかもしれません。雅也が叔父をどさくさに紛れて殺害した事に、自身の生き様を重ねて、雅也を引き込んだのか。そして雅也が普通の男性である事に気がつき、味気なくなって捨てたのか。(でも自分の駒だった雅也に、最初から最期まで愛情はなかったと思う。)
何にせよ、美冬を突き動かすものが「幻夜」では見えないので、「白夜行」に期待しています。「一緒に幸せになろう」と一回でも言い合った男が、目の前で自殺しても平然としていた彼女が分りません。彼女の言う「幸せ」が何なのかも分りませんし、単に財や名声、美貌を得るだけの動機なら、雅也をボロボロにする必要はなかったでしょう。(駒は最期まで走らせるということか。)
(雅也が自分と心中していようとしていた事と、加藤が自分を追いつめようとしていた事を美冬は読んでいて、あえて両者がぶつかるようにしたのか?ラストシーンは彼女には一挙両得だが、もしそうならますます引く。でも彼女が恋人として雅也を手放さなかった理由が、加藤への防波堤という事なら、「幻夜」での雅也の立場は鮮明になる。嫌だ。)
文章を書いていて、困っている事があります。今、日本語で「引かれる」と言うと、「寝坊してデートに遅刻して、彼女に引かれた」いうマイナスの用法が多いです。(悪い印象を持たれたニュアンスになる)
辞書的に言うと、「彼女の優しい笑顔に引(惹)かれた」といったプラスの言葉なんです。「引かれる」と言うのは。あえて書くなら「惹かれる」とすべきなのでしょうが、表外で書くのも何だろうと「引かれる」と書くと、センテンスの意味が崩壊しかねません。
「ドン引き」という言い方は、「あきれられて遠ざかられた」という意味です。これまた辞書的に言うと「とっても魅力を感じた」という意味になってしまうので、困っています。「それ、チョー引く」と言った時、引く主体は自分であって、相手ではありません。日本語も変わったなあと思います。
■「代々木は新宿にこれといった用はなかったのだが、あの独特の活気に引かれて、また来てしまった」 ■「月島が新鮮なキャベツでもんじゃを焼いてくれたが、先日もいい小麦粉が入ったといって一日中焼いていたばかりだったので、正直皆引け気味だった」
両方「引いて」ます。
「みんなで食事に出かけたが、零二が余りに辛い料理ばかり頼もうとするので、薄味が好きな一は引いてしまった」というと、マイナスの用法です。
「ルーズに見えるが、周囲に気を配れる凛太郎の姿に、一は引かれていた」というと、プラスの使い方です。
(※あくまで例なので、零二は好きなだけコチュジャンをかけて食べていいと思う。)
文脈がしっかりしていれば、迷う事も困る事もない言葉です。「引かれる」と書かずに、「惹かれる」ないし「ひかれる」と平仮名で書いてもいいと思います。ですが、「引力」という使い方もあるように、「引く」という言葉は「引き寄せられる」という意味もあるので、残念だなあと思います。「引かれる」=「チャームであると思う」。
平成24年2月27日 竹淵 拝 madeingermany193☆yahoo.co.jp ☆→@ |
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