ハーレム作品、ないし逆ハーレム作品について考えていました。少なくとも、西アジア的なハレム(つまり後宮)を想像すると、作品解釈の間違いのもとなんだろうなと思いました。日本で、大勢の異性に囲まれる状況をハーレムと呼ぶのは、昔、オスマントルコを勝手に拡大解釈したヨーロッパ人の認識から来ているので、厳密にいうと誤りです。「気弱で平凡な大学生のもとに、目もくらむような美女が大集合」という状況を、ハーレム作品としか今日の日本では呼べないのがなんとも不具合です。
ゲームをプレイしていないのが申し訳ないですが、スタスカをアニメで見てます。月子のことを不知火が「おまえ」「あいつ」と呼ぶ時があります。ミラトレだと女性のことは名前で呼ぶことが多いので、あれと思いました。不知火が優しく「あいつ」「おまえ」と口にする時ドキッとしました。多分月子に自分を投影したんだと思います。(不知火が好み。乙女向けと意識して見た久々の作品でもあるけど、かなりドキドキさせられる。)
ミラトレは、いろんな意味で逆ハーレムに該当しないかもと思います。駅が必死に悩みを聞き出そうとすればするほど、笑いを誘い、カラ回るミラトレは、「ミラトレ」という一個のジャンルじゃないかと思います。駅同士がバタバタしている姿が私は好きなので、あえて中心的ヒロインを求めなくてもとは思います。
(新宿エリアだけ、慎兄ちゃんの勢力による真のハレム(というか軍団)か、一の言う事なら大体聞いてしまう、甘い兄達&他社の新宿駅達の逆ハーレムがある気がする。一は、JRのものだろうが西武のものだろうが小田急のものだろうが京王のものだろうが東京メトロのものだろうが東武の(略)、「それ僕の」と言ってのける上に、特にどこの会社もあえて否定しない気がする。それがミラトレの新宿西口一☆)
東野圭吾「眠りの森」を読んでいます。何かのコメントで、バレエ公演に何度も氏が出かけて取材したというのを聞き、なら読んでみたいと思ったんです。バレリーナを扱った小説や漫画は沢山ありますが、そのどれとも似ていない感じです。まだ途中までしか読んでいませんが、普通の少女がバレエと出会って〜という可憐さは無いようです。美女は沢山出てきます。美女に目がいってしまう男性も沢山出てきます。いつもの東野圭吾です。
彼の書く美女のパターンについて論じたサイトがあったので見た事がありますが、考証そのままの美女が出てきます。「陶器のような肌」「艶のある長めのストレートの黒髪」「つり目」「スレンダー」「脚線美」「器用そうだが所帯じみた空気がない」など。
「陶器の様な肌」がどんな風に男性を魅了するのか、私にはよく分りません。中国の宋代の白磁に、人肌のようにしっとりした美しい乳白色のものがありますが。氏がイメージしているのは、ラーメン鉢の様なシロさじゃないかと思います。
何度も劇中で「陶器の様な肌」と女性の体を形容するので、自分なりに考えてみました。ですがあまり健康そうな肌が想像できません。何冊も氏の小説を読みましたが、陶器そのものに対する愛着は平均以上はないとお見受けするので、氏の慣用句なのでしょう。自分は、中国の景徳鎮や唐三彩、青銅器に夢中になる人間なので非常にもどかしいです。
個人的には、「手に馴染むような弾力が想像できる、血色の良いみずみずしい肌」とかの方が、魅力的だと思うんですが。女性が美肌で追い求めるとされるのが「赤ちゃん肌」である事を思うと、氏のこいねがう「陶器の様な肌」の魅力は、私には分らないものなのでしょう。すごく、硬そうな肌じゃないんですが。
平成24年5月22日 竹淵 拝 madeingermany193yahoo.co.jp ☆→@ |
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