東野圭吾「眠りの森」を読んでみました。表紙は有名なドガの踊り子の絵で、昔から好きな絵の1つですが、何故今回の題材にバレエを選んだのかはよく分りません。氏が何かに打ち込んでいる人間独特の苦しみを書く事を得手としているのは存じていますが。「魔球」や外の違う作品でも、繰り返し読んでいるパターンです。「さまよう刃」「鳥人計画」「幻夜」等でも、失っていく技能や、肉体改造の話がよく出てきてます。
(・・・・氏の作品で、全面的に自分や他人の事を大切に出来る人物を見かけない。「人間なんていとおしむ価値のないものかもしれない」という諦めが、いつも漂っている。)
加賀は、結局他人を必要としていない人間なんじゃないかなあと思いました。未緒への気持ちは恋だったのかもしれませんが、一方的に加賀が未緒を気に入っているだけのような気がしました。もし、未緒がか細く美しい有能なバレリーナでなくて、性格も男に従順そうでなかったら(=東野圭吾好みでなかったら?)、未緒に見向きもしなかったんじゃないかなと思います。
もし、未緒が「殺意を持って殺人を犯した」死刑囚として裁かれる時が来るなら、未緒はもうかつての美しいバレリーナの姿はしていないでしょう。清潔感のあった雰囲気はガラリと変わって、「あたしバレエなんてしなきゃよかった」とまで思うだろう未緒を加賀が目の当たりにしたら、多分、加賀は思いきり他人の顔をすると思います。
未緒も未緒で、自分の犯した殺人を加賀が暴くだろうという恐怖故に、加賀から目が離せなかった訳で。加賀と未緒は恋だったのかもしれませんが、ここまで説明っぽい恋だと、やはり映像化されるしかないのではと思いました。この方の登場人物は、役者さんが演じると、割とピタッと感じる時があります。
青木と亜希子について。留学先でのはかない恋とは言え、別れ話でもめて女性を殺そうとする男性と、男性が末期であると知っても会おうとしない女性。どっちもどっちだと思うので、青木と亜希子がこの小説の発端のカップルであると思うと、全体的に冷めたトーンを感じます。
靖子も、靖子の夢はバレエそのものにあるのではなくて、梶田の寵愛を求めていたものだったと思うと、もう、ずっと前から破綻する夢だったと思います。バレエを続ける事で満たされる思いというのはあるでしょうが、たった一人の男の意思でしか成立しない夢なんて、見る前から悲劇です。
誰しも、必死にバレエに向かい、加賀もひたむきであるだろうに、いつも通りの東野圭吾作品のアンニュイさでした。「もう一冊この作家の小説を読めば、自分は満たされるかもしれない」と飢餓感と不満足感をあおる意向で執筆されているとしたら、大成功だと思います。
平成24年5月26日 竹淵 拝 madeingermany193@yahoo.co.jp |
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