陳舜臣先生の「諸葛孔明」を読んでいるので、孔明の兄の瑾の事を書きます。主観で書くので、冷静な内容ではないかもしれません。諸葛瑾は弟が隣国で丞相してますから、何だかんだ言って「お兄ちゃん」ポジションなんだなと思います(※お兄様も呉で位人臣を極めてます)。「有名人の兄」というより、この兄にしてこの弟ありと言えます。自分は三国志を孔明目線で読むので、自然に、子瑜さん(※瑾の字)が「うちのお兄様」です。「兄貴」ではなく「お兄様」か「兄上」と呼ばれるのが似合う人。
他にも三国志には兄弟が多く出てきます。有名な兄弟と言うと曹丕、曹植達、曹操の息子達もいます。義兄弟なら劉備達も。呉にも孫策、権と大物の兄弟が多いです。
彼等大物兄弟と諸葛兄弟の違う所は、「乱世で一族が生き残る方策」を2人で思案していたことかもしれません。魏では、どこまでが曹丕本人達の意図かは不明でも兄と弟の争いが深かったです。(魏には兄弟付き合い禁止という決まりがあった。取り巻き同士の争いを避ける意図からだが何とも。)袁兄弟の争いは、どちらも「あいつが滅べばいい」と思っている向きがありました。
劉備達3人も素敵な兄弟ですが、誰か一人欠けると、そのままバタバタっと内側から崩れていく関係というのも怖いです。元々、政治的な色合いも薄い3人でしたし。どこかで一旗挙げようという気分が濃厚な3人には、孔明の様な知識階級達が考える「万民の平和」を追求するより、もっと彼等だけの大事な価値観があったと思います。
策、権も名だたる兄弟ですが、策が存命していたら権の出番はなかったでしょう。策の性格上、何かの拍子に権を担ぎ出して事を起こそうという輩がいたら多分(以下省略。策だから。)
お兄様(※諸葛瑾)が策に仕えなかったのも、分る気がします。策は魅力的な人ですが、お兄様の「北方の出身」「弟が何故か遠方の荊州にいて呼び寄せない」「お兄様の陰を含んだ性格」等を思うと、策の気に入るタイプではなかったでしょう。時間をかけて権を説得することもあったというお兄様なので、策の様な歯切れのいい事を好む主人では、仕えても辛かったでしょう。
辛いだけならともかく、うっかりすれば折角乱を避けてきたのに、一族壊滅という事態も考えられます。策の存命中、「人気絶頂の伯符さんに仕えよう」と好意でお兄様に言ってくれた人もあったでしょう。「まだ土地に慣れないから」とか言って、お兄様は策を敬遠したでしょうか。
権の代になったらいつの間にか陣営に入った訳で、お兄様をよく知っている人なら「ああ、子瑜さんのしそうな事だ」と思ったでしょう。慎重で、頑固で、やることがどう贔屓目に見ても、朗らかとは程遠いのがお兄様です。
こう書くと、なんでこんな人を「お兄様」と呼ぶのかと思いますが。信じられないくらいシビアな目で時代や周囲を見極めて、手の及ぶ範囲なら守ろうとしている人だからかもしれません。遠く離れていても、彼の「側」にいられた亮は幸せだったと思っています。 |
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