昔、「竹淵さんは好きになった相手を崇拝する傾向がある」(意訳)と言われ、しばらく飲み込めなかった事があります。好きな人と言っても、100〜2,000年前に他界した方か、版権ものの話です。
なんと言うか、昔から人様の事を理解するのにひどく骨が折れるんです。そういう脳らしく、「どうすれば空気の読める大人になるのか」と苦しんだ事も一度じゃないんですが、基本的にそういう脳なんだそうです。(言い訳しているように聞こえますが本当。)
つまり、学校のクラスでみんなが放課後にドッジボールをしていても、「放課後のドッジボールは正課にない」からしない子です。「なんとなしに」という社会のお約束を、ひどく遅く学習する子です。
なので、仮に「この人かっこいいなあ」と思っても、フィーリング云々という感覚がないので、「この人は歌が上手い、だからかっこいい」と何かしら理由を無意識に求めます(本当に歌が上手い方の場合、別にいいと思う。)
ですが、たとえば「宮野真守さんっていいなあ」と思った場合、確固とした理由なんて実は必要ないのでしょう。あれこれ「まもはこんなとこが〜」と思うのが楽しいだけで。
そんなので、結果として好きなものの好きな所を、やたら崇拝しているようになるのかもしれません。・・・結婚した相手に対し、「なんで彼と結婚したのか」という確固とした理由があった方が心配で、ゆるがない直感みたいなのが、自分にもあったらいいなあとは思いました。
|
|