昔コミックスを読むと「誕生日プレゼントありがとう」とかの作家さんのコメントをよく見た気がします。今もそうなんでしょうか。昔は作家さんの個人情報もごくわずかしか流れていませんでしたが、今は「なんでこんな事が分るの?」ということも、大量に分る時代になりました。
昔は声優さんのプロフィールなんて、雑誌で必死に探していた気がします。昔よりはるかに身近に感じられるようになり、大好きな版権キャラとも近い存在である声優の方々に対し、ややもすると距離を読み違いそうになります。デビュー時からの変化とか見守ってしまった感じになるとさらに。
(少し昔の鈴木さんの、吹のすねた時の演技とか、スタッフの方から求められていただろう「さわやか」な演技の時よりグッとくる。あのへんの天邪鬼な呼吸は今も変わりないと思う。歌もさらに上手くなられたと思う。)
そういう見境のない状態でしか、お金・体力・時間は使わない気がします。程度はありますが、「DVD・CDの旧作レンタルで十分」と思うか「何が何でもあのライブには行かなきゃ」と思う境界は、厚い様で薄いです。そういう目がギラギラした状態になった自分をあえて想像してみて、なんとか舵取りしてます。(この間の寺島さんの言葉を、ふと思い出した。いやだって来月たっつんの誕生日なんだけど、ご本人のブログを読むくらいしかしないよ?11月11日ジャストゾロ目だって。)
病院や公共施設に行くと、「○○にならないためのアドバイス」などの小冊子がよくおいてあります。何か相談に行くと、帰り際にそういう冊子をくれたりします。困ってそういう場所に行くから、隅々まで読みます。
心の方のアドバイスに、「不安定な時は大事な決定をしないで見送りましょう」とあります。確かに、何らかの不安を解消しようとして無茶をしてしまうのは怖いことですし、もっともなアドバイスです。
大多数のご意見の上げ足を取りたいわけじゃないんですが。「何らかの決定に挑んでいるから、不安定になる」んじゃないかなと思います。晩御飯がアジフライかカレーライスかで悩むのは大したことじゃないでしょう。ですが、たとえば
「アジは体にいい」 「カレーは体にいい」 「でも同時に食べれば、食べ過ぎて健康に良くない」 「食べ過ぎれば健康にも美容にも良くない」 「健康を損なえば自分のためにならない。大して発達していない美容の方も今以上劣化させれば、自分の社会的立場を危うくする危険性が大きい(大げさな言い方だけど少しでも綺麗で細い方が何かといいと思う。昔散々からかわれたトラウマ)」 「でも揚げ物とカレーって相性いいんだよなあ」 「分った。カレーに野菜をたっぷり入れて、アジフライは半分にして食べよう。美味いぞ!!」 「アジフライ万歳!!」
自分の頭は、アジ一切れに対しこれくらいの分量を常に考えています。結果的に何か得るものがあるのかどうかは、分りません。分っているのは、無理に思考を中断させると逆に脳がブスブス言い出して、莫大なストレスになることくらいです。
自分以外の人間がアジ一匹でここまで考えていたら、若干心配ですが、竹淵には通常運行らしいです。竹淵の抱える不安なんて、こんなもんかもしれません。(もっと大きな決定をしなければいけない時、大きな不安を抱えている時もあると思うけど、今は考えない。)
鈴木達央さん関連のチケット、今まで楽に取れていたんですが、年末の舞台は瞬殺だったそうです。これからも何かとチケットを求める機会があると思うので、気合入れないといけなそうです。 |
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