ルザ様と高松について。 ■南国&PAPUWA他同じ原作者の漫画は熱い恋をすればする程、そのキャラがどん底に落ちていくイメージが無くない。故にグンマは常に無傷。父親とされていルザ様の事も「下手に触れたらまずい」空気を養育担当の高松から感じて、ずっと遠巻きにしていたのでは。
劇中の恋と言うと古くはイトウ・タンノのシンタローへの思いであり、彼等の恋は南国アニメで笑いを取れるまでに昇華されたからいいものの。(イトウ・タンノの場合相手は土方でもよかったらしいとも言えるが、4年もシンタローと会っていないのだから、好みの男性が島にやってきてキャーキャー言いたい気持ちも分かる) ■イトウ・タンノ組はこのくらいだが、アラシヤマ→シンタロー、トットリ→ミヤギ、ウマ子→アラシヤマ、ハーレム→リキッド、ハーレム→サビ、マジック→シンタロー、シンタロー→コタ、ウマ子→リキッド、土方→リキッド、ジャン→サビ当たりの面々は原作者の寵愛を得ていない限り不幸な目に遭うと思う。アラシヤマの場合、原作者からの虐げがキャラに幸運を呼んだ稀なケース。
■高松もこの例にもれない。ただ高松の場合、ルザ様に仕事や学課を教わり、その後自分もルザ様の本当の息子と仕事や学課を通して親しくなるという、「恋愛」以外の顔がある。そして高松は原作者からは寵愛も関心も得ていないので、ある意味熱く恋すれど彼の周りは物語に対して無風地帯になっている。(キンタローは原作者のお気に入りだったらしいから、PAPUWAの高松はガンマ団科学班のモブみたいなもの。高松なので南国後に勝手にキンちゃんと会っているだろうけど。) ■高松は対外的に、ルーザー様&キンタロー様と「保護者、被保護者」「家庭教師と生徒」という顔が保てても、中身は「恋愛」に近い感情だという事は突っ込むと本人にデリケートに過ぎるので自分の原稿だけで突っ込もうと思う。要は高松の場合「恋人として好きな人に選ばれ近くにいて愛される」という誰しも持つかもしれない当然の欲求を自ら潰す事によって、衆人の下恥をかいたり、手痛く失恋する事を回避しているだけ。(別の恥はかいていなくない気がするけど) ■なので、いざ好きな人から真剣な眼差しで「お揃いの指輪を買いたいと言われる」「記念日を2人で祝おうと言われる」等の場面になると、ほとんどパニックというか返事する前に鼻血だして倒れると思う。あー可愛い。
(ルザ様かキンちゃんなら、頭から鼻血浴びても悠然としているだろうし、高松のペースを呑み込んで付き合ってくれると思うが。「絶対に自分は彼の恋人になれない、自分は彼にふさわしくない(※「恋人にならない」「恋人になりたくない」ではない)」という、高松が自意識の基本にしている思い込みは、高松を恋する人にとっては辛いと思う。自分の気持ちを高松が信じていないみたいで。
ルザ様もキンちゃんも最初は信じてもらえない事に怒るだろうけど、時間をかけて高松に思いを伝えたのかも。ルザ様なんて高松に「実子」という切り札を出したくらいだし。キンちゃんも彼なりに持ち得る権力を振りかざしてでも高松を得ようとしたら、逆に高松はそんな取り乱したキンちゃんが益々可愛くてならないと思う。「こんな事のために権力を使ってはいけませんよ〜、また私とお勉強のしなおしですねえキンタロー様。」とか言って高松喜んでいそう。)
雑感です。 ■なんでファンタジーとは言え南国〜PAPUWA〜チャンネル5で400年以上時間が経っている上に、高松がほぼ40代の姿でいるのか自分があんまり気にしないか。高松というキャラが年齢で左右されにくいせいもあるけど、セーラームーンRが自分の中に叩き込まれているせいもあると思います。
普通の女の子だったうさぎは幻の銀水晶の力で1,000年程生き、30世紀の東京に住み、20代の姿のまま地球一個まるまる従えています。それぞれの惑星にはマーズやマーキュリー達の居城があるので、太陽系というか宇宙規模の永年クイーンになっています。そんな設定を「普通」に受け止めてオタクに育ちました。少女漫画らしい、よく考えると首を傾げる設定も、多分その頃から自分は大丈夫になったのだと思います。
南国・PAPUWA・チャンネル5は少女がほとんどいない少女漫画だと思うと、いろんな疑問が氷解します。ほぼ男性しかいないから、ヒーロー役とヒロイン役が適当にいますし。
(ガンマ団って少年漫画の悪の組織的なノリだと薄味なので、幼年向け少女漫画に出てきそうな「会社」だと思うと納得出来る。キンタローもリアルな社会人というより、中学生一年生くらいの女の子が想像する範囲の「イケメンエリート社員」な感じ。高松とルザ様も子供が思う「かがくしゃ」「おいしゃさん」なのかも。) |
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