madeingermany

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...... 2013年09月28日 の日記 ......
■ 鳥山   [ NO. 2013092801-1 ]
ルザ高を書こうとすると寂しくて書けないのは、彼等に別れが迫っているからだと思います。切なさを書くのも二次創作ですが、自分には出来そうにありません。素敵なサークル様のジャイアントロボの村雨×銀鈴を10年前に読んで感動しましたが、滅びの美しさは真似できないと思いました。

なので拙宅のルザ高にはキンちゃん(0歳〜高校生くらい)がついてきます。パラレルですが。ルーザー様が子供をもうけると言い出した時、マジックのついでにとかいうのが第一の動機でしょうが、周囲はルーザー様に高松がいなかったらOKしなかったでしょう。むしろいつまでも少女漫画みたいな事されていては周囲(ハレとか)がムズムズするから、ルーザー様と高松をまとめてしまったのではと思います。

キンちゃんが生まれたら生まれたで、ルーザー様の研究の邪魔にならない様に、高松とキンちゃんが離れた部屋で過ごしていると、「高松が僕を1人にした」「キンタローは生まれた時から高松といてずるい」等とすねるルーザー様とか。高松はすねるルーザー様にいつまでもときめいている訳にもいかないので、毎朝ルーザー様のお脈をとって、スキンシップを欠かさない事で穏和に過ごしていそうな次男家。

(高松はキンちゃんとグンマにも脈はとっていそう。医者なので顔色や歩き方で健康状態は分かると思うけど、キンちゃんは進んで高松に手首を出して来そう。グンマは南国後は断りそう。)



谷崎の「乱菊物語」を読んで、今、荷風の「下谷叢話」を読んでいます。谷崎も荷風も好きで読みますが、この2作については無理していなかったかなと思います。谷崎は後期こそエロ要素が豊富で、若い頃は恥ずかしくてできなかった恥ずかしいあれこれを開花させ、荷風は初期でも中期でも後期でも、女性の衣装や振る舞いを書かせたら日本一の作家です。なのに谷崎は「乱菊物語」でストーリーが重要になってくる大河風歴史小説に挑み、荷風は「下谷叢話」で鴎外の様な固い雰囲気を醸し出しています。

2人とも実力のある男性作家なので、いずれは濡れ場みたいなのばかり書いていないで、堅実な歴史ものや人物描写に凝るつもりだったのでしょうが、2人が2人無理している感じが否めません。鴎外は始めこそ「舞姫」や「ヰタ・セクスアリス」「雁(初めて女性のアレな場面が書かれたと言われているらしい小説)」等を書いていますが、よく読むと「雁」も鴎外らしいですし、「渋江抽斎」も鴎外らしいと思います。濡れ場を書いても、固い内容でも鴎外は鴎外だったと思います。



昔ドラゴンボールの二次創作をしていたので、穴が開く程悟飯やビーデルの顔を見つめていた事があります。シンプルに見える顔でも、表情が顔だけではなくて体の動きやセリフ、コマ割から伝わってきます。ところで。

■シンタロー達の目、顔、体は鳥山絵を元にしているとすると。キンちゃんなんて常時超サイヤ人目・超サイヤ人髪色。そう思ってキンちゃんを描くと疲れる。セルゲーム前の悟空・悟飯みたいで。(でも二次創作時は自分の絵でキンちゃんを描いてしまうので鳥山目では描いていない。)
■もしかして、くり子ちゃんやすずめちゃんの目はビーデルやブルマ、チチさんの目からだと?そんなはずない、だってあの生き生きとしたキラキラ輝くビーデルの目や、アニメでも漫画でも生きているかの如くなブルマやチチさんは別物だ。(くり子ちゃん達ヒロインに異を申し立てるつもりはありませんが、男キャラの目同様、女性も鳥山絵なのなら別物でショックだ。)
■ピッコロさんとか表情が少ないように見えて、豊富にあるのがドラゴンボールだし。動いていないのにアニメの様にスピーディーな快感があるのが鳥山絵。(当時の流行だったから似せているだけで、模写とかじゃないよね?)

南国(特に終盤)のいいところは、女性的な感情表現の豊かさだと思うので、鳥山絵との比較とか気にしないで、お母さんと再会するキンちゃんに浸りたいです。

(ドラゴンボールだと仮に生き別れた親族と再会する事があっても、大変ドライだったりする。でもそれは悟空の性格上の表現であって、戦士達の魅力と拮抗するビーデル、チチ、ブルマ達の「普通の女性の感性」の良さは歴史に残ると思う。)

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