■思い出話の多い日誌ですみません。 ■10年前パリに一週間旅行した時、さる方から「今後の同人活動に生かせるね」と言って頂きました。当時パリを舞台の一部にしたアニメ・ジャイアントロボで二次創作していたのですが、残念ながらパリの記憶は生かせず仕舞いでした。
その後メグレ警視ものを読んでいる時に楽しい記憶を呼び戻したり、旅行番組を見て回想にふけったり、パリを二度目に訪れた際、「(一身上の事により省略)」とかセーヌ川に訴えたりでパリとは縁が切れないんですが、二次創作とは繋がらないなと思っていました。(本当にセーヌ川に「それでもセーヌは流れる」とかつぶやかないと、やっていられない日があった。あの日程パリの石畳が親しく思えた日はなかった。)
ルーザー様と高松(とキンちゃん)の日々に、題材はないかなと頭を巡らせた時、パリが浮かびました。元々はサビがお買い物するなら、パリの高級店をフロアごと買って、気に入らなかった品々を高松に下げ渡すんだろうなと勝手に妄想していたのですが(オークションでさばいて煙草代にする高松)、パリなら学問の街でもありますし、学会も多く開かれます。植物園もあります。PAPUWAでキンちゃんがパリに行く事は十分あり得ますし、ハレがフランスで狩りをしてシビエを食べたり、サビが芸術に親しむ事も大いにあるでしょう。お菓子の名店もあるので、グンマも好きそうです。
いわんやルザ高(+キンタロー様)おや。竹淵がロンドン市内でも想像できれば青の一族っぽいのですが、そっちは無理そうです。
■南国&PAPUWAの原作者について考えていました。コミックスを読んで「ああ面白かった」とスッキリ閉じてしまえないモヤモヤ感を残していくのはいつもの事ですが、何かを心に残していくのも事実です。それは何なのか考えてみました。ありないくらい赤裸々に欲望を具現化する強さだと思います。多くの場合、「これでは読者に受け入れられない」「編集さんとも相談しないと」「ここは主人公の出番だろう」「物語の流れを妨げてしまう」と手控える場面で、堂々と描き手の欲望をぶつけてくる強さは無比だったでしょう。
最近の例で言うと、帝月がよく分らないキャラでした。出番が多く、大技を使うし、よくしゃべります。主役の天馬にもからみますし、ほとんどのコミックスの表紙は彼です。カミヨミを読む前は、帝月は女の子でヒロインだとばかり思っていました。
ですがカミヨミは菊理姫と天馬の話です。帝月は菊理の双子の兄です。なら妹思いのいいお兄さんかというとそうでもなかったと思います。ヒロインである妹の幸福のために、臣従する瑠璃男と友人の天馬と共に行動するなんていう場面はなかったと思います。(読解力不足なのかな)
はっきり言えませんが帝月は原作者の「欲望の具現化」なのかなと思いました。下僕と才能と若さと美貌があるあたり。女性としてカミヨミの後継者として頑張る優しい菊理姫の話の方が読みたかったなと、ふと思いました。
■多分、いい方に原作者の「欲望の具現化」の力が働いたのがマジックだったと思います。 ■資産家、権力者、不老で男前、強いけど愛する相手には甘い、男兄弟や男の親類が多い、しかも美形で有能な男が多い、崇拝すらされてきた(ミツヤさん、ルーザー様)。こんな男に愛された血の繋がらない息子・シンタローに原作者が乗り移った場合、描いていて楽しかったでしょうと思います。 ■「下僕がいる」と言いたい所だけど、少年漫画やファンタジー漫画において、悪の集団のトップがワンマンで大勢の部下を従えているのは普通の事。仮に原作者がマジックの気分で「無能なものは云々」と言っても、この場合ならば許される範囲だと思う。自分も仕えるならマジックかライオンお祖父様がいいなあ。
(歴年のマジックの部下というと高松だけど、高松の場合有能だから、グンマの育ての親だからマジックの側で生きながらえている事もあるだろうけど、一番マジックが高松に関し思っている事は「ルーザーの事はすまなかった」だと自分は思っている。ルーザー様が残したもので命をつないでいる高松だけど、マジックにそれとなく甘やかされている事実は見ないふりしそう。) |
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