新しいパソコンは今までと同じウィンドウズ7ですが、動きが滑らかでまだ慣れません。
先に気楽な事を書きます。高松はグンマを世話する時は、自分より小さいグンマの背後に立って手を伸ばすなり出来ますが、キンちゃんをお世話する時はキンちゃんが190センチ越えで高松とほぼ同じ体格なので、横か正面に立たないとお世話出来ません。「エマ」にフットマンがいますが、高松とキンちゃんの理想的な姿ってあんな感じでしょうか。一生懸命高松を従えるキンちゃんと、これまた献身的にキンちゃんに仕える高松は楽しそうで主従に見えにくいです。
南国後高松の怪我が治りきらない頃は、高松に治って欲しいからキンちゃんは負ぶってでも高松を世話しようとしたでしょう。高松は早くに寡婦になりましたが、姻族と息子に恵まれたと思います。
ところでグンマは今まで実父だと信じていたルーザー様が目の前に現れて、ルーザー様の実子のキンちゃんは「母さんに何をする、お前なんか父さんじゃない」的な勢いがあったと思いますが、グンマは「僕は関係ない」と冷めていたと思います。だから眼魔砲が外れたのだと思います。
今更なんだという疑問なんですが。「スクランブル!」で宙太が宇宙飛行士になったいきさつが分かりません。宇宙人と遭遇して友達になって、友達を追いかけて宇宙飛行士になった、宙太の姉はスカイに刺激されたのか科学者になったという展開らしいんですが、突っ込みどころは全部です。
南国とPAPUWAも「本人の意思に関係なくおかしな世界と関わってしまう」という話なんですが、テレビアニメ補正とあの頃はギャグがよかった、シンタローも当時は男らしかったという点でよかったと思います。話のとっかかりは「巻き込まれた」でもいいと思いますが、その後の展開と主人公の意思的な部分を描き込まないと、話が見えません。
南国は「おかしな島に流れ着いた青年」「おかしな運命で二度死んだ青年」で話を押し切っていますが、その「おかしな」部分の中身の描写がいつかされるだろうと思わせておいてなかった気がします。秘石の謎は放置でした。
スクランブル!も、南国&PAPUWAよろしく巻き込まれ主人公である上に、巻数と描写も浅めだったなと思います。本当によくわからないスカイとスカイの両親の話よりも、雹と茶羅を眺めて読み終わった気がします。劇中で「こんな事やっていられるか」と怒る主人公は多々いますが、スラムダンクの初めの頃の花道みたいに、納得して物語が再構成されていくケースの方が多い気がします。
チャンネル5の場合は話も話なので、「ああ嫌だやめたい」とキャラが思った時、気持ちの歯止めがないよなと思います。光はブルーにいい思い出ありませんし、紅達とジャンの関係も薄そうです。エドガーが正宗への思慕をやめてしまった時点で、キャラ達が動くキーというか動機が根こそぎなくなった気がします。
(正宗にしても、戦うイコール自殺行為・全滅になってしまうあたりが、ストーリー崩壊の第一歩だと思います。南国では後半のシンタロー、PAPUWAではリキッドがそれぞれ積極的に戦わない理由は、戦闘即自身の死という原作者の認識なんだろうなと思います。アラシヤマはよく死にそうな目に遭わされたり、自爆技を発動しますが、そういう頑張りが原作者は何より嫌いなのかもしれません。南国後半&PAPUWAのシンタローがアラシヤマくらい頑張り屋ならよかったなと思いました。
シンタローを溺愛するマジックが自らシンタローを鍛えなかった理由はその辺でしょうか。原作者の愛は厳しくされる部分を含まないから。コタもPAPUWA初期では横暴一点張りなキャラでしたが、原作者が放置した後のコタは頑張り屋で好きです。) |
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