南国&PAPUWAの原作者は(自身を含まない意味で)不幸展開好きそうですが、そう言えばCLAMP作品も女性は大体不幸になっていました。Xの小鳥、東京バビロンの北都他ほとんどの女性キャラは不幸比べだったような。レイアースのエメロード姫の悲劇には心が揺さぶられましたが、今思うと「仕事を忘れて自分の女性としての面を出してしまうとこうだよ」という、書き手からの冷たさを感じます。「恋する女性」に個人的に恨みでもあるのかという書きぶりでした。
90年代ってそういうのが流行だったんでしょうか。もうよく覚えていません。(GATE7の幸村は女性顔負けの美人・大勢の男性を従える薄幸の人で、どう料理するのかと思ったけど休載した)
以下は妄想です。 ■ルーザー様存命パラレルのルーザーさんち、ルザ高とキンタロー坊ちゃん。風引いて、自分の風邪がルーザー様とキンちゃんにうつるのを恐れ、二人にしばらくマジックの屋敷に行って欲しいという高松。ルーザー様に怒られる高松。「僕も医者だ、あの双子の面倒だって(見る気になった時だけ)見た。お前は僕がお前とキンタローのを面倒を見られないとでも思ったか」な感じで。
■劇中通りのキン高。過労気味のキンちゃんに、ちゃんと眠れたのか、朝まで眠れるのか、寝室は寒くないか熱くないか、疲れはとれたのか毎日聞いてしまう高松。イラッとしたキンちゃんの取った選択は、「俺が眠れるかどうかお前も見れば納得するだろう、今晩俺の部屋に来い。」だった。
■漱石の書く男女のなれ初めは非常にぎこちないです。ヒロインが従妹、友人の妹、知人の妻だったりする場合が多いので、これといって劇的な出会いではないのは仕方ないですが、こころの先生と私の出会いの衝撃がえらく大きいので、なんだかなあと思います。
海水浴場で先生を見かけた私は、先生が水着から浴衣に着替えるのを見つめつつ、先生がメガネを落としたのを見逃さないで拾って渡し、海で泳ぎながら話しかけるという念の入れようです。先生に怪訝な目で見られながらも猛烈にアタックし、私は先生の家に通う様になります。その積極性が異性関係で生かされる事は稀です。
■漱石の坊ちゃんについて書きます。高松とキンちゃんが清と坊ちゃんぽいなと。
何かの本で、清は坊ちゃんの生みの母ではないかという憶測があって、一種合点の行くところがあります。坊ちゃんに兄がいるのだけど、清は兄の方は可愛がらない事。坊ちゃんの父母、兄と坊ちゃんの仲が冷淡に過ぎる事。坊ちゃんが勘当されかけた時に、清が父に泣いて許してもらった事とか。もし父と清の間に生まれたのが坊ちゃんで、坊ちゃんのために現在の父母の子供として入籍してあったのではと思ってみました。
もしそうなら、将来坊ちゃんが結婚し財産を築き、ブランコと玄関がある家を持つ事を夢見る清が哀れです。でも母でも何でもなくとも、清は坊ちゃんの事を思うだけで幸せだったのだと思います。
坊ちゃんがトイレに財布を落としたので自分が拾い、臭いが移ってしまったお札を坊ちゃんのために硬貨に替えて来た清、坊ちゃんが四国に行く時に引き裂かれる様な悲しみを呈した清、四国に手紙を出す清、坊ちゃんが四国から戻ってくればこれまた泣いて喜ぶ清・・と、実の親子でも見ない様な場面が沢山あります。清や、帰ったよと坊ちゃんが戻ってくる場面は、読んでいる方が泣きそうです。
坊ちゃんには兄がいるので、仮に坊ちゃんが清の息子だったとしても、無理に入籍させる必要はなかったので仮説なんだろうなと思います。また漱石の作品の傾向として、肉親同士より他人との交情を重んじますので、清と坊ちゃんに血のつながりはないと思います。清は死ぬ前に坊ちゃんの家のお寺に入れて欲しいと言います。清のお弔いで坊ちゃんは幕を下ろします。
■高松もいつかその身はルーザー様の側に、その魂もルーザー様の所に行ける様願います。だから、私はそんな小さな願いすら踏みにじる、週末発表予定の読み切りは読みません。不買運動なんてする影響力は自分にはありませんし、個人としてそうさせて頂くだけです。
前情報だけで破壊力があり過ぎて、既に心と体を壊しました。読めば今以上に南国&PAPUWAの原作者へのマイナスの感情が募り、高松ごとマイナスの感情で見てしまう恐れがあります。私は嵐が過ぎ去るのを待ちます。 |
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