■宮脇俊三氏の本を読んでいまして、宇高連絡船が航行していた頃の本なので、「当時の高松はこんな感じだったんだ」と感無量です。今でも連絡船の名残はありますが、リニューアルした高松駅の堂々たる「四国の玄関」という印象の方が強いです。高松は鉄の申し子と言うか、梅田駅の様な櫛形ホームを有する高松駅の光景を思い出すと、ほとんど単線だろうが、ICカード無用な地域だろうが、この駅のプライドは永遠だろうなと感じます。
(GWに旅行した北陸もICカードはほとんど使えない。ICカードの利点は近距離移動に便利という事なので、金沢〜東京間を一気に移動する場合はICカード無用だったりする。)
■高松雑感です。生まれたルーザー様の子供がジャンにそっくりで、受け入れられなくて気がふれる直前の高松の口から、京阪のアクセントの言葉が漏れたら、多分相当まいっていたと思います。あれこれ高松について考えるんですが、いざ原稿にすると幸せな高松しか描けないみたいです。浅はかだなあと思いつつ、ルーザー様ですら「普通のパパ」っぽく描く(書く)竹淵はどうかしています。
高松は少なくとも三回、死を意識したと思います。
1回目■ルーザー様にお仕えしていた頃。 あのルーザー様に未熟だった自分が従うなんて、へまして即、捨てられそう。機密に触れてしまったり、機嫌を損ねたりでいつ殺されても文句言えない。
2回目■グンマとシンタローを交換した時。 こんな事すぐばれるだろうし、ばれたら死罪は確実。両目秘石眼のグンマを育てるなんて、普通の人間である自分につとまるはずがないし、グンマが物心つく前に自分はグンマに殺されているはずだった。
3回目■「生まれて」来たキンちゃんに出会った時。 自分の罪や苦しみは愛するこの子の手で終わりにして欲しかったのに、キンちゃんと抱き合う様にして泣いてしまう。マジックに真相を語れば、マジックの怒りで一巻の終わりだろうと思ったのに、マジックの怒りは自分に向いて来なかった。
・・・マジックの怒りが高松に向かないのは、グンマについてマジックがほとんど無関心だからでしょう。「実の息子」というカードが無効だったのは高松の読み違いです。ルーザー様が自分の死後、高松と息子ををよろしくと兄に頼んで逝ったとも考えられますが。
悲観的な高松だから小さい事が嬉しくて、鼻血出しているのでしょう。キンちゃんは高松の亡父への思いと、自分への愛情を受け入れた上で、父そっくりの髪型と服装、仕事をも受けれ入れたかなと思っています。
以下も高松雑感です。
■グンマを育てていた時、グンマを育てるのを仕事だと高松は思ったでしょうか。誰かに何か言われれば「仕事みたいなもの」と言ったかもしれません。
ルーザー様にお仕えする事、キンちゃんを愛する事を「仕事大変だね」と言われればニコニコしていても、内心ムッとしたでしょう。仕事以上のエネルギーと愛情を彼等に注いでいるから。
■高松の特徴は、彼自身に自覚があるのかどうか分かりませんが、母が子を思うが如く、全身全霊で相手を思う所でしょう。いい加減でだらしない男でもありますが、24年間一時だって「シンタロー(キンタロー)」の事が頭から離れた事は無かったと思います。自分がグンマを「恩人の息子」として可愛がれば、「シンタロー(キンタロー)」は「お父さん」に愛されるので、高松も必死だったろうと思います。
でもそういう高松の「努力」はルーザー様の望むところではありませんでした。ルーザー様は高松がマジックに誠実に仕える事を願っていたと思いますし、嬰児交換なんてお仕置きもお仕置きです。
高松はルーザー様がいなくなった時、「シンタロー様(キンタロー様)にお父さんがいなくてかわいそう」というパニックだったろうなと思います。自分自身も混乱がひどかったでしょうし、自分の混乱を「この子がかわいそう」という思いで増幅してしまっただろうから、していい事と悪い事の区別も出来なかったのでは。 |
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