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...... 2014年11月10日 の日記 ......
■ エゴ   [ NO. 2014111001-1 ]
一月インテ後に、東海道沿線で一泊しようと考えています。細雪に出て来た蒲郡に興味があったのですが、旅行会社のパックプランでは行けないので、比較的東京に近い熱海にしようかと思っています。熱海も谷崎ゆかりの場所です。谷崎は京都の冬の寒さに耐えかね、熱海、湯河原あたりに出て来たそうなので、冬に出かけても過ごしやすい場所なのでしょうか。

谷崎ゆかりの場所と言うと神戸、芦屋、岡本、京都、淡路島と数多いですが、谷崎が豊かになった後の「ゆかりの場所」はセレブです。谷崎が苦労していた時のゆかりの場所は東京、前橋、伊香保と関東が多い様です。谷崎の初期の短編に群馬の前橋らしい場所が出てきますが、谷崎の苛立ちの様なものを感じました。



■エゴについて考えていました。風と共に去りぬのスカーレットは「我が儘な女」の代表の様に聞いていましたが、自分は彼女の振る舞いに納得しています。自分は彼女の様な美貌も魅力もありませんが、越えねばならない壁があったら、避けるよりぶつかりたいと思う方です。大抵壁より自分の方が砕けて、泣きべそかくのですが。


■エゴと言えば漱石で、漱石と言えばエゴで。エゴの固まりの様なのが谷崎、荷風ですが、どの作家の作品も面白いです。谷崎、荷風の気短ではた迷惑な所は漱石に負けていないと思います。漱石はエゴを追求、非難したはずですが、漱石自身の振りまいたエゴもあったろうと思います。漱石のエゴを鏡子さんが受け止めてくれたから、漱石は何とか持ちこたえただけで。

ミサトとグンマを語る上でも、エゴは有効かもと思いました。ミサト、グンマを非難する意味でなくて、心の動きを説明するには勝手のいい言葉かなと思います。

ミサトは「大胆不敵で男勝りで快活なアタシ」というイメージを周囲の人全てに与えたくて。でもミサトの不注意な振る舞いや、子供っぽさ、シンジ・アスカと同年代の様な思考は、リツコやマコトにばれていますが。

南国のグンマも「無害で弱い僕」を高松のプロデュースに応える形で演じている気がします。「お可愛いグンマ様」を創作せねば、こっちが眼魔砲のエサの様に食われかねない高松にしてみれば、必死の演技指導だったでしょう。ガンボットの攻撃より、はるかに高い破壊力が自分の体内にあるって、グンマにはやはり恐怖だったんでしょうか。



■高松を語る上で、もっとエゴイストで我儘で、作為的な男にしようと思った時があります。心の中の光はグンマとキンちゃん、そして天国のルーザー様だけで、濃いエゴの中からのぞかせる孤独と絶望とか。中二病ではありますが、南国なのでそんなシニカルな感じもありだと思います。

そう思ったのは原稿を書く(描く)前の事で、いざ入稿の時を迎えたら、ドクター高松が乙女性をこじらせた大人女子になっていました。いくつになっても失われない高松の良さ的なものが、こじらせた乙女になって現れるのかなと。



いい年の男が乙女チックなのは恥ずかしいと、高松は大人なので知っていて。指導・教育するキンちゃんが恥ずかしい思いをしないように、きちんと家庭教師として振る舞おうとして。でも誰がどう見ても、キンちゃんと何か出来るのがとっても嬉しいんだろうなという事がバレバレのドクター。

キンちゃんにもエゴはなくないと思いますが、あんまり周囲にどう見られているのか考えない子だと思うので、自分が満足すればその時点でエゴを忘れている子だと思います。エゴがあるとしても、有限・等身大のエゴなのでは。ママ(高松)とお腹いっぱい御飯食べれば、大抵の悩みは「これから高松と頑張ろう」と思えるキンタロー様。

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