■風と共に去りぬを読んでいます。王道のラブストーリーだと思って図書館から借りたら、「男なんてあてにならない」というヒロインの話でした。今、スカーレットがフランクと結婚しました。紳士というキーワードがよく出てきますが、「女性に優しい」というのは絶対の条件だと思うので、周囲に女性不在のキンちゃんはどうすればいいのか。
アシュレがよく分かりません。フランスの小説にいそうな人だなと思いましたが、当時の南部にはまだヨーロッパの貴族の様な人がいたのでしょうか。アシュレがスカーレットのヒモになりかけているのが何とも。
レットの言う様に、何故アシュレが北軍から脱走もしなければ、メラニーと息子を連れてタラから出て行かないのかといえば、貴族的な虚弱さからでしょう。スカーレットは王子様の様なアシュレを見切る展開と聞いているので、その場面が楽しみです。
学生時代、アメリカ史だと北部が正義で、南部は奴隷をいじめていた嫌な地域なのだと教わった気がします。アメリカにはこういう面もあったのかと痛快でもあります。単純に「親が高名な医師で自分はアメリカ育ちです」とか言ってしまうのが惜しいくらい、多様な国なのだろうと思います。
■悲しいから書きます。愚痴ですが中傷や非難の意図はありません。
・小学生の頃、シートン動物記が好きだった。アニメ化されたのも毎週見た。オオカミ王ロボ、伝書バトのアルノ、銀ギツネのドミノを親友の様に感じた。ビンゴ、キティ、あぶく坊や、皆好きだ。動物の母子の光景とか今も懐かしい。
今高松を書く(描く)時も、イメージはそんな所から来ていると思う。高松というニワトリの羽毛の中から、首だけ出して温めてもらうヒヨコみたいな時期もあるキンちゃん。生物ってあたりで博物もしていそうだし、ルーザー様と生命の奇跡について語った事もあったと思う。
・当時の子供向けアニメ、小説は少し古い欧米を舞台にしたものが多かった様に思う。寄宿舎とか、クリスマスだけ親元に帰る子供達とか、よく分からなかった。
・そんななかで育まれた、「動物好き」「欧米への憧れ」は今も残っている気がする。かえって現代日本の流行が自分には分からないくらい。源氏の人々の暮らしには夢中になるのに。
・南国は、当時のアニメや漫画とは異色だったと思う。ヒロイン不在で、イケメンが男の子とイヌの面倒を見ると言う目新しさがあった。南国初中期の物語のテーマが定まらないあたりのグダグダ感すら、いとおしい。
・当時から恋愛の分からない自分には、シンタローに母がいない事を気にしなかった。マジックが何やらファンタジーなミリタリーの人で、ギャグが面白かったからよかった。
・マジックやシンタローが動物に優しいあたりで、自分は完全に南国に満足していた。今もその気持ちは変わらないけど、原作者の柴田亜美には「野生動物への尊敬」「根拠あるアメリカへの関心」はない。
・そういうのは別にあってもなくてもいいと思うけど、「ない」とハッキリした今となっては、少し悲しい。動物は擬人化?ギャグ化?しないでも十分すごいのだし、アメリカ建国史には本当に興味が尽きない。
・あんなに面白かった、今も十分「懐かしの」良作で通じる南国アニメの原作者と、自分は何も共有していないのだなと思った。別の人間同士なのだから仕方ないけれど、それに気が付いた時悲しかった。 |
|