■グンマが本気を出したらどうなるのかなと思いました。両目秘石眼なので、若さから言えばマジック・コタより強いかもしれません。体格が周囲より小柄ですが、かえってガタイのいいキンちゃんより、消耗しないで眼魔砲が撃てるかもしれません。キンちゃんは強くて賢い子だけど、心身の消耗がいちいち激しそうです。いちいちフォローしようとして鬱陶しがられる高松。
グンマは秘石眼のパワー面も最強そうですが、メンタルはマジック以上に強硬かもと思います。最近、なよっとしているグンマは演技かなと思っています。高松が少女みたいな子供が好きなのかなとグンマが思って。
でも高松が目論んでいるのは、マジックに育てさせているルーザー様の子息の側に、いかに他人の自分が自然に解けこむかという事なので、男の娘が好きなのとは違ったかもしれません。シンタローの身内であるグンマが自分を頼ってくれれば、自然にマジック一家に関与できるというシナリオが高松にあったのではと思います。
キンちゃんという、媒体のいらない愛の対象を見出した高松の取った行動と、グンマの目覚めたような強硬な高松への拒絶は、自然なものだったと思います。(そういいながら高松に涙や鼻水を拭いてもらうグンマもいて、よく分からない。要は、普通の親子でも起きる愛憎が高松とグンマの間でも起きた・・・のかもしれない。)
■昔好きだった少女漫画家さんの漫画が、やっと普通の学園ものらしくなった気が一瞬しましたが、思い込みだった様です。ヒロインの修学旅行と言えば、古いですが、班行動で社寺めぐりなどしながら、友人達との気さくな時間と思いきや、「同級生の男子とお泊り」に話を持って行く辺りが、この方だなと思いました。
団体行動する気ゼロだなあと。クラスの集合時間にいちゃついていて遅れても、「こんなに皆が幸せなアタシを待っていて歓迎してくれている」と自然に曲解していそう。
そういう欲求、描写があっても構わないと思いますが、あくまで「学年の皆の前で、イケメン男子から一方的に迫られて困っちゃう可愛く清純なワタシ」「こんな可愛い子と旅行なんて、男なら場所柄をわきまえず迫っちゃうよ?」というニュアンスを貫くのは流石だと思いました。カラーとかキャラではなく、それが自然体なのでしょう。
少女漫画のバイブルの一つである天ないにも、修学旅行の描写、また異様にこの作家さんが好む女の子の下着姿はありましたが、全てはりぼんの範疇の事だったなと懐かしく思います。
■日誌で憎まれ口ばかり書くせいか、先週から左手に包帯を巻いています。ネットの包帯なので手袋の様なものですが、結構固定されています。手の平に湿疹が出来て、どうにも治らないので皮膚科に行って来ました。患部に薬を縫って、ガーゼで覆い、包帯で固定しています。パソコンのキーを打つのに、左手の指が十分広がらないのでタイプが遅いです。
手の湿疹の恐ろしいのは、一度治ったと思っても、後から後から出て来る事でした。汗腺が詰まったのをこじらせたそうで、水泡が手の平一面に出来て、潰れては新しいものが出来の繰り返しでした。今週末、もう一度皮膚科に行きます。
■憎まれ口ついでに。
・人の不幸は描いていて楽しいのかと、南国を読んで思う。ダンテの神曲も苦しみの連続だけど、最終目的は救われる事であって、不幸そのものではない。仏教の考えでも、確か地獄の苦しみの先には再生が予定されていたと思った。
・人の不幸、例えば顔にクリームパイ、熱湯&氷水風呂に落とされるとかは、笑えるからいいとも言えるし、大抵の場合は予定調和なものだから許容されるのだと思う。ドラゴンボールではなんと、死んでも生き返るから今死んでもいいという予定調和があった。
・多分、南国&PAPUWAの原作者の思う予定調和の範囲は、ものすごく広いのだと思う。チャン5復刊と言っても、アニメージュで好評だったはずの時分でも、設定が不確か、伊達の死、刃×雷の描写、雷と紅のキスなど、不安要素が多かった。未完と聞けばさもありなんと思うけれど、今になって寝た子を起こす様な騒ぎは何故。
・ウェルギリウスも、ベアトリーチェもいない神曲の様な南国の世界観にやっと慣れて来たので、新たなる地獄・煉獄を見ないまま、森に引き返そうと思う。
(※新曲でダンテの辿ったコースは、近所の森、地獄、煉獄、天国だった。地獄と煉獄では大詩人ウェルギリウスという案内人がいて、天国にはベアトリーチェがいた。南国&PAPUWAには、地獄・煉獄はあれど天国と案内人両者がいないと思う。
自分は、高松のウェルギリウスはルーザー様であり、ベアトリーチェは男の子だけどキンちゃんだと思う。そういう事考えているから、手の平一面湿疹で真っ赤なんだなと思う。痛くて痒い。) |
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