■荷風の断腸亭日乗を読んでいます。戦争なんてどこ吹く風である荷風も、出版の差し止めや、食糧雑貨の欠品を経験しています。それでもある所には奢侈品もあったようで、荷風らしい日を過ごす事もあるようです。
戦争を感じさせない作品として、谷崎、荷風は戦後に読者が増加したと聞いています。谷崎のものを読むと確かに、折々の時代性はあるものの、レトロでお洒落な感じになっています。谷崎の家には鹿児島出身の女中さんがいて、いつか鹿児島を取材したいと谷崎は言っていたそうで、本当に自分の世界を現実のものにする事に貪欲な方だったようです。
荷風の場合、大袈裟に現実と闘うわけではなく、ひたすら隠棲につとめている様です。ただの引きこもりでなくて、作家として重鎮であるから出来る事でしょう。自分も隠棲・隠居生活に憧れますが、ただの孤立生活になりそうなので、とても荷風の真似は出来ません。
当時、東京から地方に集まった作家、文人、政治家などを、田舎者に過ぎないと筆誅と言ってもいいくらい責め立てる荷風の前に、恐れるものはなかったでしょう。
■昔の漫画や小説に、不幸がトレンド的な流れがあった気がして、色々腑に落ちたつもりになりました。スラムダンクも桜木の負傷、湘北の敗北と、全部がハッピーエンドという訳ではないですけれども、いい意味での日常的な最終回でよかったと思います。スラムダンクくらいから、どちらかと言うと普通の人が主役の漫画が一般的になったのでしょうか。
少女漫画だと、ヒーローとヒロインがカップルになるエンドはまだ分かりますが、あまり描写の無かった脇役同士で、続々カップル誕生になる事があるので、少年少女が触れるものは、ある程度補完性があるのかもしれません。
南国を読んでいた当時、これは普通の漫画じゃないなという予感はありましたが、不幸が当時のトレンドだったと思うと、納得できる節があります。幾原監督の様に、男女関係・王子様と結ばれるお姫様と言う以外のエンディングを求めると、模索が必要になりますが、とりあえず暗く不幸にしておけば、シリアスだし、読者は泣き出すから、インパクトになっていいよねというものを、南国から感じます。
不幸っぽいのは、確かに求心力があると思います。人の不幸は楽しい物だとも言われますし、好きなキャラがどん底にあるのなら、応援する気持ちになります。漱石の明暗でも、延子の苦しみは漱石の与えた試練だったと思えば、未完になった事が悔やまれるというものです。
でもトレンド、ファッション的なものはやはり核心にはなりにくいらしく、シンタローは無傷、マジシンも微動だにしません。楽しい不幸を味わわされるのは、端役のルーザー様、キンちゃんでした。チャン5でも、エドガーに取り返しのつかない不幸をいくつも背負わせています。お気に入りのキャラを不幸にする事は無いんだなと思うと、リキッドがいわば不幸な状況です。
ただし、原作者様の幸不幸の基準が自分には分かりません。PAPUWAでも、明らかにイサミさん達心戦組の方が部下思いだし、お互い言いたいこと言えていい組織だと思います。・・・自分の子供が昏睡状態なのにアイドル活動を始めたマジック、服従か死を迫る彼が、自分は好きです。でも上司にするならイサミさんかケースケさんでお願いします。
心戦組は内輪もめしててダメな組織、と原作者様は言いたかったのかもしれませんが、上司に口答えしただけで、入院してもおかしくない傷害を負わされるガンマ団の方が危険です。 |
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