■昔フリフリの服を着てもおかしくなかった年齢の頃、自分はそういう服を着ませんでした。買ってもらった記憶がないせいもありますが、欲しいとも思わなかったのでしょう。容姿からして似合わない、着れば自分が恥をかくから選ばないという賢さはあった様です。ならば全くレースやリボンに執心が無かったかと言うと、そうでもないのが恐ろしいです。
似合わないから身に着けない、奢侈などもってのほかと気取れたのは、内心実は自分は可愛い物が似合うという根拠のない自負の裏返しだったのかもしれません。低年齢向け少女漫画でよくある、お着替えしただけで美少女に変身するあれのイメージで。又は荒木伸吾師匠の絵の様な、キャラそのものの自然な華麗さへの憧れのこじらせだったとか。
可愛い物を身に着けて、可愛いねと言ってもらえる年齢をはるかに過ぎ、いい加減理性を得たはずの今になって、自分がフリルもレースもリボンも大好きである事に気がつくなんて恨めしいです。好きだけど接し方が分からないだけな気がします。
多分マジックはレース編みも刺繍も出来て、美品が出来てもシンタローが喜ばないので、持て余していそうです。たまにグンマに完成品が流れて来て、高松に可愛く装ってもらうとか。ルーザー様が装飾を余り好まない人の様に思うので、基本高松とキンちゃんの身辺はシンプルそうです。
質素な高松こそ恋愛脳だった事に気がついたら、キンちゃんはどう思うでしょうか。亡き父への恋を忘れないあたりで、察していそうですが。ルーザー様は高松の乙女くささに生前気が付いていただろうと思います。
■孔明の北伐について考えていました。高校生くらいまで本気で、孔明は劉備の恩に報いるために、個人的に軍を動かしたのだと思っていましたが、思えば行政的にそんなことはしません。
孔明の北進は北伐と呼ばれます。曹操の南下が東征と呼ばれるので、曹操からは圧倒的なパワー、孔明からはよく言えば義と言うべき弱さを感じます。
戦うしかなかったから戦った。国家としての行政を、他国への侵略という形でしか進められなかったと言うか。魏延が長安まで落とそうと主張した時、孔明は同意しなかったそうです。国家の名分のためには戦争ありきで、でも無理して長安を落としても維持できる国力がなく。
孔明は第一次北伐で死ぬ気だったのではと思います。出師の表は孔明の遺言だと言われていますが、正義ではない魏に、劉備の恩を受けた自分が一矢報いるという意味の表に彼のプライドを感じます。プライドで戦争をされても困りますが、最期の数年間の孔明は死ぬ準備をしている様に見えます。
■蜀は本当の国号を漢と言い、劉備は蜀の皇帝ではなく、自称は漢の皇帝です。漢王室は劉邦の頃からあるので、劉備を蜀で呼ぶ場合、初代皇帝としてではなく、簡単に先主となります。劉禅が後主で、蜀は二代で終わりですが蜀としては、劉禅の降伏によって長かった漢王室が終わったのだとされます。
ここが中国史の面白い所で、前漢と後漢の間に新という国がありますが、何年新が続いたかという事が大事なのではなく、新という国号、当時の元号が発表されたという事が大事なのです。まるで、同人サークルの様な自称ぶりです。
何百年と続き、文化を築いた漢や唐のような大サークルさんがあれば、背伸びするしかない蜀漢サークルもあるでしょう。孔明の北伐は、マイナーで弱小サークルが国力をかけてコツコツ書いた、同人誌のようなものかもしれません。 |
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