■横光三国志党の自分は、あまり人形劇三国志を見ていないのですが、主題歌に「貴方が生きている限り私は幸せになる」とう歌詞があったと思います。懸命に生きている人形達への言葉かなと思いますが、戦死者が続く三国志において、何と悲しい言葉だろうと思った覚えがあります。その思いは必ず裏切られる気がして。
亡くなっても人は心の中で生きているとか、深読みする年齢でもなかったので、死の描写が続けど淡々としている横光の方へ惹かれました。三国志というと人形劇の方を思い出す方も多いので、いつかちゃんと見てみたい作品です。
■昔好きだった少女漫画家さんへの、自分の転機って何だったかなと思いました。デビュー以来コンスタントにコミックスも出しておられますし、根本的に何かあった訳ではない気がします。
しかしながら少女漫画で大事な清純さや、心象風景的なものは、この作家さんにあまり価値がないらしいと思った時、悲しかった気がします。誰もが楽しみにしていた月刊雑誌で、意味も断りもなく、カラーでヒロインのパンチラを描き、周囲からの指摘に対し、「自分はパンツ見られても気にならない」と明後日な返事をした件です。
ヒロインのパンツがどうこうではなく、女性が場を選ばず、自分の肌や下着を自慢そうに公開するのはいかがなものかという問いに、問いの意味自体分からなかった様子なのが軽くショックでした。今まで作家さんに対し感じていたシンパシーが、一気に断ち切られた瞬間だったのかもしれません。
シンパシーなんて所詮そんなものと言うか。思えば見ず知らずの相手に対し、描かれた作品だけで深く共感する事の恐ろしさでしょうか。あくまで作品は作品、作家さんは作家さんと割り切れればいいのですが。
■何かのニュースに、頑張り屋さんの功罪みたいな事が書いてありました。頑張る人と言うのは、頑張る方向が定まっていてこその頑張りであって、スポーツや受験勉強の様な一直線こそ全ての様な場所に向いていて、ある時は、頑張る方向を見定める事の方が重要だとかいう内容だったと思います。
自分もがむしゃらになるのが好きですが、よく考えると渾身の力を込めても大丈夫なものってあまりありません。いくら好きでも外食でチーズものばかり頼んでいたら、チーズソムリエにはなれるかもしれないけど、体重が増しそうです。ドラッグストアに行くのが好きでも、買い過ぎては無駄になりますし。
■少し前までは、敵前逃亡など出来ないとか、全てを自分の物にするまでは飽くなき探求をとか思ってました。でも、テレビアニメの南国で、高松がシンタローとパプワに背を向けたのを思い出し、自分も逃げる時は逃げていいのだと思う様になりました。
アニメの南国の刺客達って死ぬまで戦わないと、ガンマ団に帰った所でマジックに刑死されるだけなので、本来高松の逃亡はあり得ないのですが。高松はグンマのお守りだから刺客より団内での扱いがいいのか、勝手に逃亡しているのか分かりませんが、三十六計逃げるにしかずという所でしょう。
どっちみち高松は、島へルーザー様の息子であるシンタローを見に来ただけであるし、パプワの怪力にはかないません。ハマナス・ホウセンカ・スイカという種が尽きたら、帰るだけです。少し前の自分なら、高松をだらしないとか、いい加減だとか非難したかもしれません。今は、自分も一緒に逃げる組です。
単に、年齢がシンタローより高松に近くなったせいもあります。 |
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