去年の2月の上旬は大雪でした。電車は止まり、高速道路も交通止め、新聞も来ませんでした。今年は雪が少なくて有難いです。
去年の今頃も、原稿を描いていました。同時に、グッドアフタヌーンの読み切りに怯えていました。不安は根も葉もない想像に過ぎない、恐怖とは根拠も形もない物と言えど、取って食われた方がましという戦慄でした。結局読んでいません。小さい頃なら、苦手な食べ物を無理にでも食べれば誰か褒めてくれたでしょうが、今は自衛あるのみです。
二次創作とは自分にとって何なのかと言えば、治療です。読んで胸が痛くなっても、何らかの補正を期待できる作品ならいいですが、切り刻まれる感じしか残らない場合、やはり二次創作したくなります。高松が幸せでありますように。
■一週間、手に包帯を巻いていましたが、皮膚科に受診したらもうガーゼはいらないとの事で、今はしていません。皮膚科には別の病院で数回かかり、薬を縫っても縫っても水疱が出て来るので、怖かったです。今は肌に赤みがあるくらいで、ボツボツは無くなりました。
所でお医者様や看護師さん、保健師さんの考え方は、あくまで悪い部分を今治そうという感じだなと思います。自分は医学も疫学も分からないので、何故こうなった、何が悪かっただとつべこべ考えますが、益の無い事の様です。
汗で手の汗腺が塞がれて詰まって、水疱になって潰れてリンパ液が出て来た、そうです。来週も皮膚科に行き、完治していればもう薬も出ないでしょう。
■荷風の断腸亭日乗を読んでいます。昭和16年まで来ました。多々ある日乗で延べられていた不満・不足が、あの頃はよかったと回想される日が来るのでしょうか。日乗のスタート時も悲しげですが、これから戦中、戦後を迎えます。丁度ドイツ、イタリア、日本が同盟を結ぶ頃です。ヘタリアでは明るく楽しく描かれていますが、やはり普通の人は苦しかった様です。
荷風は三度空襲を受け、偏奇館も消失します。いつか偏奇館が無くなるのを知っていると、この家で荷風が暮らしている情景すら、読んでいて悲しくなります。読書のいい所は、ある一定の感情に一時期でも胸を一杯に出来る所ですが、荷風に全く新しい苦痛が始まるのかと思うと、他の本を読む気にはしばらくならないです。
■漱石と言えば漢詩も書いた人で、秀才中の秀才なのだと思います。明暗を書きながら、明暗は重苦しいエゴの話なので、趣味で漢詩を書いていると聞きました。漱石が思う漢詩の世界は、ストレスの少ない物の様です。
漱石が若い頃。漢詩の世界の様な水墨画か何かを見て、こんな世界に住みたいと言ったそうです。それを聞いた地方出身の同窓が、実際そんな辺鄙な崖に住んだら苦労して仕方ないと言ったそうです。
漱石は平成の人にあらず、当時は水道やガス、電気は余り普及していなかった頃と思います。漱石自身が煮炊きしたり、裁縫や掃除をする事は無いと思うので、漱石のセレブさが出ている話なのかもしれません。リアル津田。
そんな僻地不便だと言った、地方出身の同窓に、そんなつまらない事を言うなと漱石は怒ったそうですが、同窓の人は本気でそう思ったのだろうなと思います。漱石の性格を考えたら、何か一言言いたくなっても、黙って聞いている方がいいと思いますが、寒村から必死の思いで上京してきた人と、生来の東京人である漱石は、話が合わなかったかもしれません。
漱石は英国留学を果たし、博士号を勧められた知的エリートですがそういう偏狭な所があって、自分は好きです。 |
|