■原稿のために、モッツアレラチーズの事を調べていたら、酪農の大変さとか、水牛をいかに酷使しているのかと色々出て来てしまい、昨晩ナイーブになっていました。他の動物について調べても、辛い方の情報も入ってきてしまい、やはりナイーブになります。
古いですが、CLAMPのXがそういうテーマを扱っていたので、連載当時は期待していました。当時のCLAMPはそういう社会問題を斬り裂く漫画が多かった気がします。さくらみたいに、小さい世界でのささやかな幸せの方が自分は見てみたいですが。
ルーザー様はナイーブさの少ない人なのかもしれません。というかナイーブになっていては、家族ともども生き残れないと覚悟してしまった人なのかもしれません。ハレとサビは、マジックに愛されてのびのび成長したと思いますが、間にいるルーザー様の秘めたる覚悟の発露は、家族から見ても異常で、ハレにはトラウマになったようです。
ルーザー様が異常なのだとしても、青の一族のおかれた環境、マジックの目指す方向がそもそも普通でないのであって、ルーザー様はそれに適応、あるいは過剰適応しただけなのかなと思います。PAPUWAでハレが団内を執拗に盗聴していますが、盗聴と言うより、公私の区別がないだけかなと思います。兄の会社ですし。
高松の場合は、自分はサラリーマンに過ぎない、一族経営の会社に長年いるだけで、血縁ではないと分かっていての盗聴その他なので始末が悪いです。もっとも自分は他人だとか堅苦しい事を思っているのは本人だけで、マジックは高松を家族として見ている気がします。弟の置き土産的な。弟と弟の息子と、高松が仲良くカプレーゼを食べていても普通だと思っていてくれそうです。
■不安や恐怖が感情による想像力なら、ある程度まではコントロール出来る気がしてきました。出来る気がするだけで、本当に出来るかは分かりませんが、コントロール可能なものであると思うだけで、結構違うかもしれません。
不幸を恐れるあまりに、自ら不幸を得て、かえって安心するという心理があると聞きますが、その心の動きを乗り越える方法には、自分も幸せになっていいのだと自覚してみるとか、楽しむことは罪ではないと思って見るとか、あるそうです。イタリアは神曲を生みましたが、神曲が広まっても世間は正されなかったのだから、誰も本気で地下の世界を恐れた訳ではなかったのかもしれません。
痩せたいと思いつつ高カロリーのものを食べて、別の食事のタイミングで整えればいいと思うのと似ている気がして、今から不成功の匂いがしますが。数日前からポテトチップスが食べたくなり、つい買いましたが開封していません。自分が買ったポテチを忘れている間に、家族の誰かが食べてくれないでしょうか。
■感情による想像力について。食べた事もないような、イタリアやフランスの景色や御馳走を、情報だけ集めて喜んでいるのは、いい方の想像力かもしれません。
東京の麻布十番に行けば、どんな御馳走も食べられると思いますが、地方人が東京の港区に出かける恐怖や大きなものです。台東区や北区、足立区ならまだ埼玉寄りですが、千葉の方は荷風ゆかりの場所であっても、田舎者お断りな感じがします。
六本木と言えば荷風の偏奇館の場所ですし、目的があった際は何回か行っています。でもたまたま入ったお店の人から、どこから来たのか聞かれ、群馬だと言ったら苦笑されたというか、思いっきりバカにされたので、六本木にいい思い出はありません。渋谷もなんとなしに怖く、何故か新宿だとリラックスしてます。新宿贔屓はミラトレのせいでしょう。
鉄オタとしてなら、日本全国歩きたいと思いますが、文学趣味を胸に闊歩するのは骨が折れます。鉄道の風景なら、ある程度古くても残っている可能性が高いですし、鉄道というものの性格上、遠方からの来訪者に優しくもあります。日文はいつだって片思いです。 |
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