■以下は独断と偏見です。
柴田亜美作品と言えば、残念なイケメンですが。PAPWAのキンちゃんの場合、最初は高スペック紳士として登場したものの、人生経験の少なさと、行き場のない生真面目さで、無事残念なイケメン路線に着地しました。南国のキンちゃんも、やっと悪役登場かと思わせておいて、シンタローに無視されると泣き出し、ママ(高松)召喚に相成ります。
高松の場合、追随を許さない高スペックでありながら、かえって危険人物として目されています。高松みたいな極端な場合は置いておくとしても、原作者は、やはり、理想のイケメンを描いたという事なのでしょうか。
多くのキャラが若くて高身長・高学歴・高収入、独身である事からそんな気もしますが、そんな素敵な男性に、何故彼女も奥様もいないんだという突っ込みも自然と生まれます。多分、その突っ込みの答えこそが、残念なイケメンだからなのかもしれません。
原作者が設定を料理しきれずに、どんな優秀・有能なキャラもなし崩しになる、と言い切ってしまうとつまらないので、PAPUWAの様に巻数が進んでも本題が始まらず、高松やキンちゃんというある意味脇役キャラには、くつろぐ時間すらあるんじゃないかという、ゆとり路線だと思ってます。
■世間より大分遅れて、アナ雪を見ました。今までのディズニーのラブロマンスを一新する作品と聞いていましたが、旧来の味も濃い目に残っている印象を受けました。アナ雪は、最初はアナがヒロインで、悪役としてエルサがあったそうですが、見ていてやっぱりヒロインはアナだなと思いました。
エルサの気高さは国民には崇敬の対象だと思いますが、戴冠式に来た各国の代表にしてみれば、女性を対等の政治家として扱うのが嫌だったかもしれません。エルサがコケティッシュにホスト役をつとめればまだしも、彼女はダンスをしないし、微笑みも固いです。
ハンスは胡散臭くても、男なので最初から政治家として皆に待遇されます。逆に、アナが隣国にいって結婚したとしてもアナが政治に口を挟む事は無いでしょう。女性は政治なんかしないし、女王だの王女だのはそういうものだとアナ雪は言っています。
エルサが本心から、来ないで、一人にしてと叫んでも誰も聞きません。アナ雪は、女は所詮、成人しても感情的に動く生き物で、守ってくれる強くて理性的な男を確保して一人前である、というディズニー神話そのものでした。
アナがあんなにも彼氏募集中だったのは、単なる思春期性のものではなく、それがハッピーな女性のする事だからです。ハッピーでヘルシーでキュートな女性は男を求め、そんなガールがこの世を明るくするのよという、神話は見事に更新されました。多分エルサは永久に、彼氏がいる女の子であるアナに頭が上がらないでしょう。
有名なありのままにや、寒くないわ、てっきりアナが姉の魔法の力を家族として受け入れ、喜んだエルサの歓喜の歌だったと思ってましたが、違いました。今まで、自分の魔法の力を周囲から隠していたエルサが、一人で雪山に逃げ出し、人里離れた場所で魔法を使う場面でした。エルサ、疲れていたんでしょう。
エルサの魔法を家族や国民が受けれる場面って、最後のスケートリンクのシーンという事でしょうか。終始、ツンツンしているエルサを、アナが他人事の様に見物している話だったので、エルサがヒロインなら、エルサの心がとけ出す場面が見たかったです。
氷になったアナをエルサが溶かすシーンは、エルサの真心が表に出て来るシーンでもあり、アナの今時ヒロイン魂炸裂なシーンでもあった気がします。アナとエルサの幼少期を睦まじさを思い出すシーンとか、あれば見たかったなと。100分でそこまでは難しそうです。
エルサなので、無条件に愛されたいとかいう子供っぽい愛ではなく、アナや国民を守る存在になる事に意味を見出しそうだから、エルサに彼氏が出来ましたとかいうエンドだったら違和感半端なかったでしょう。カップル誕生エンドは、もともとのヒロインであるアナの役目で、エルサは絵画の様に美しい女王であるべきなのかもしれません。 |
|