■ルーザー様は故人ですが。故人を思う時、現在進行で関わっている人とはどうしても異なります。その人の話す声、仕草などは亡くなってしまえば知らない人には伝わりにくいでしょうし、発言や行動が記録されていても、記録は記録という事もあろうかと思います。
高松は生きていた時のルーザー様を知っているわけで。狭い世界に住んでいたルーザー様を知る人は、彼の兄弟くらいです。ルーザー様の功績や実績は残っていても、やはり記録の域を出ないでしょう。だから高松は黙っているのかもしれません。ルーザー様について問わず語りをするのが恥ずかしいから。
最愛の人、自分を育ててくれた人、認めてくれた人について黙っている事で、高松は大人になったのだろうと思います。高松が芸術家や音楽家なら、自分の思いを他人の観賞に耐えうる形に昇華したでしょうが、高松は医者で学者です。生きている人相手の商売です。
だからグンマと一緒にいても、高松は割と痛痒がなかったのかなと思います。高松の一番大事なものを、グンマは知るすべがありません。ルーザーという人がいた事は知れても、ルーザーその人については不可侵です。南国終盤でルーザー様のお姿を見た時の高松の動揺を思うと、悪く食えば高松は過去という物を甘く見ていたのでしょう。
客観的にはルーザー様は過去のお人でも、高松やキンちゃんの中では生きているも同然です。それでいいじゃないと言うか、高松とキンちゃんには一緒の思い出があるのだろうと思います。
横須賀雑感です。
■同じ頃の鉄道として高崎もありますが、グンマの面白い所で、政治と商売は前橋、軍は高崎と分けられて当時は統治されていました。今の高崎に軍は無く、立派な市庁舎と商業モールがあります。前橋は養蚕が衰退した後は、ほぼ住宅街です。
詳しくないのですが、横須賀って軍も政治も鉄道も市井もみんなあるよなと思いました。高崎は軍があるから、県庁を置かないと決められた経緯は何だったのかと思うくらい、堂々とした軍事都市だなと、先年訪問して思いました。
鉄道もしかりで、横須賀線の優遇度合いはすごいです。建設からして軍港ありきで優遇、戦前戦中にで物資が足りなくなっても他の路線から持ってきて設置。土地も思えば鎌倉など風雅な場所でも堂々と敷設。
戦後の横須賀はベッドタウンと言うか、もう一つの東京みたいな感じになっています。前橋・高崎もベッドタウンと言えばベッドタウンですが、東京の隣県ではないというのと、あまりにグンマと東京が地続きでない気がして、乗車時間は神奈川県内〜都内とそんな変わらないのに、別世界の香りがします。
京都駅が異様に市街から南にあるのは有名ですが、あれは寺社や古い町屋のためではなく、滋賀から大阪に抜ける場合あそこがいいとされたとか、工事すると水が出るとかの理由だった気がします。
横須賀とは何であるのか。港に並ぶ軍艦を思うと何も問う事は無いと思います。グンマには陸・空はあれど海上の備えがなく、横須賀の様な観光資源にはならなそうです。陸・空は見てても分からないのが理由でしょうか。でもグンマの駐屯地は地元に根付いております。 |
|