■星の綺麗な季節になりました。群馬は雲より他に夜空を遮るものが無く、星がよく見えます。自分は北斗七星やオリオン座くらいしか分かりませんが、どの星も綺麗です。特に北斗七星には思い入れがあります。
星矢のアスガルド編のイメージもある美しい星座で、古今当座愛され、頭上にいただかれて来た星座です。自分は三国志の孔明を思い出します。横光三国志でよく星を眺めていた彼ですが、五丈原で祈っていた時も、七星に対してだったと思います。
星を見ていると、孔明を見ているかのようだと思います。正史がどう、演義がいい、吉川・横光三国志が正義とか思いは交錯しますが、何となしに、自分の精神が休む場所というと、彼を思うその時なのかもしれません。気持ちが前を向くというか、自分で自分を幸せにする元気が星からもらえます。
自分を変えようとか、自分を捨てようとか、一辺死のうとか、猛暑の東京でいつも思うのですが。秋風が吹いて星が綺麗に見えて来ると、自分は自分でいいのだとか思います。その思いが客観的に正しいのかどうか分かりませんが、生きる事を後退するのにもエネルギーがいるのだから、星と一緒に生きてみたいと思います。
高松がルーザー様を思う時、キンちゃんが父と高松を思う時もそんな感じかなと思います。変わらぬ北極星を恨む時はあれど、七つの星はしるべなのだと信じて。
■ミスマープルの、鏡は横にひび割れてを読んでいます。牧師館の殺人から20年くらい経った世界だそうです。先日読んだ書斎の死体は牧師館の殺人の次の作品という事で、牧師館の殺人で妊娠報告された家の赤ちゃんが、はいはいしていました。
火曜クラブの時点でお婆さんとして書かれていたミスマープルです。ビクトリア朝の英国を知る女性、近隣の家々はアン女王形式の家、ジョージアン形式の家と建っているそうです。二つの大戦を経たクリスティの作品世界は、実に50年くらいの時間が経っています。
ビクトリア朝、アン女王、ジョージアン形式と聞いて、パッと家々をイメージ出来ればどんなに楽しいでしょう。資料を見ても、アメリカ映画に出て来そうな家だなとかくらしか思えず、ホール、ハウス、何々館、何々荘というイメージが沸かなくてやきもきします。
牧師館の殺人が1930年、スリーピングマーダーが1976年の作品なので、50年程ミスマープルが登場して時間が流れました。彼女の年齢は考えなくていいらしいです。
1930年の英国というと、アメリカでウオール街の株が大暴落して大恐慌が世界を覆った中、有り余る大英帝国の海外領土をもとに、ポンドによるブロック経済を形成した頃です。後進国だった日本、ドイツが恐慌のために海外侵略を講じだした時、イギリスではクリスティが発表されていたんだと思うと、もうどうしていいのか分かりません。
ミスマープルものを読んでいると、クリスティの多くの作品をたくさん読んで、女史の世界を踏破したい欲求にかられる反面、見た事も触った事もない上質の英国世界がイメージできず、滅入ります。
漱石は優秀な英文学者でありながら、英国の神髄の様な所が、いくら勉強しても掴めないとかで小説家になってしまいました。英語の先生、英文学を日本に広める仕事なんて辞めなくていいのにと思いましたが、確かに英国は異世界です。
近所のスーパーで紅茶買って、群馬産の牛乳入れて飲んでも、やっぱり真似なのかなと思います。でも群馬は水もミルクも美味しいので、真似でも何でもミルクティーは美味しいです。 |
|