■最初に前向きな事を書きます。とはいえ特にないので、群馬の前橋市にある敷島公園について書こうと思います。JR上越線に敷島駅がありますが、地名が同じなだけなので敷島駅で下車すると大変遠いです。
広い公園で、運動場とばら園等のレクリエーション部分に分かれています。県庁から川沿いにひた走ると公園の入り口が見えてきます。自分はスポーツ関連には縁がないので、もっぱら行くのはばら園です。
特筆すべきはばら園の入場が無料と言う事です。県民だけ市民だけ、高齢者や子供だけ無料というのはよくありますが、本当に無料です。365日無料です。駐車料金さえ取らないのは公共施設だからなのか、潤う何かがあるのか。
ばら園と言うだけあって、桜やツツジさえないストイックなまでにバラ尽くしです。外の花を植えた方が、四季通してお客が来るのではないかと余計な事を考えますが、5月下旬のバラ祭りと10月頃の秋バラ祭りと2回愛でるチャンスがあります。
600種7000株のバラに囲まれたって、竹淵がオスカルやマリーアントワネットになれはしないのですが。あの豊かな花卉に囲まれればぐうの音も出ません。
■文具店を兼ねている書店で。トーンが品切れどころかコーナーごと現在ない事にショックを受けながら帰ろうとしたら。アドラーの本がベストセラーとして並んでいました。ベストセラーくらいは押さえようという衝動に負け、何となしに立ち読みしました。昨今、どこでもアドラーを見かけるので割とお馴染みになった気がします。以下は雑感です。
・アドラー心理学は素晴らしい。何故ならゼロからでも、マイナスからでも不死鳥の如くリバースする自分の姿が目に浮かび、アドラー心理学を胸に夢が叶う気がするから。
素晴らしいんだが、あくまで自分のものとして受け止めないと大変だろうと思う。「人間は環境ではない」「人間は遺伝ではない」などと聞くと奮い立つが、自分の感慨としてならいいけど、地下鉄が2分に1回来るような駅の側に住んでいる人と、公共交通機関に見捨てられたような地域に住む人は、考えが異なると思う。
・人は皆違うと思う。休みたければ休んでいいし、奮闘したければしていいと思う。愚痴りたけば愚痴り、敵前逃亡しても、誰かに許しを乞うてもいいと思う。アドラー心理学を読んでいると、あんなに自主自立で聡明な人ばかりいるんだろうかと思う。
アドラー心理学を自分のものとして吸収すればいいけど、他人への武器として使われると非常に腹立たしいかもしれない。「全ては自分のせい(だから解決出来る)」、どうか自分で辿り着きたい答えだと思う。
自分は中学の時に、顔中ニキビでどうにもならなかった。ストレスも疲れもあったろうし、美容や整容の知識も薄弱、早く無くなれと潰し、余計困った事も多々ある。いいと聞く洗顔料を試し、近所のおばさまに「どくだみがいいのよ」と無責任な事を年中言われた。皮膚科もお決まりの硫黄?の塗薬をくれるだけだった。
挙句、一番好きだった祖母に「顔を洗わないからだ」と言われ本当に泣いた。祖母は元来肌が強く、硫黄性の熱い温泉に毎日通う女傑だった。私は父方の遺伝で肌が弱く、ニキビも汗もまるで抑えられなかった。14歳の自分の努力や試行錯誤が足らなかったからのニキビではない、今にして思うともう遺伝・体質としか言えない。
無論、少女だった自分にこんな遺伝を与えた側からの謝罪や慰労はない。一人でツルツルの肌の周囲をねたむだけだった。腫れ上がったニキビ面でも幸せな乙女がいるかと、アドラー先生に聞きたい。いると言うと思う。 |
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