■高松の怖い所は、公私の使い分けでしょうか。グンマに対しては、「お育てしている」と言う公式の顔があります。ルーザー様は「上司」、キンちゃんは「上司の息子」です。普通どんなにお世話になっても、上司や上司の家族にそこまで入れ込まないのではという突っ込みは、高松にはしてはいけません。
彼につまらない詮索は禁忌だろうと思います。少なくともガンマ団員は自分達の「健康」を彼に牛耳られています。学生なら単位や卒業成績等、異常に肝心な部分に高松が関わってくるので、文句があっても陰で言うくらいでしょう。
なんで高松がそこまで公式の顔を押し出すのかと言えば、根本的にグンマ、ルーザー様、キンちゃんと結ばれない存在だからでしょう。血縁でもなく婚姻も不可能な関係なら、誰が聞いても恥ずかしくない関係をうたいたくなります。
逃げ隠れしないようでするのが高松と言うか、私的な場面では盛大に可愛がってあげて欲しい人です。
■日文における温泉ってなんだろうと思いますが、こればかりは、書いた作家さんが温泉地育ちなら温泉は故郷に準じた存在になりそうですし、全くの都会人なら、温泉は歓楽地でしかない場合もありそうです。
林芙美子の浮雲に伊香保が出て来ますが、冬なのに積雪の描写がなかったのに驚きました。あそこは積もるのに坂が多く、冬はお客の送迎が大変だそうです。県民にとって温泉は「行きたい」場所ではなく、「来てほしい」場所です。
作家と言えばインテリ、インテリならば都会に集中しがちなので、温泉も歓楽地、たまにしか行かない保養地なのかもしれません。康成にとっての伊豆や越後湯沢みたいなものでしょうか。康成は大阪生まれです。
江戸時代に新潟の冬の暮らしについて書いた人がいて。江戸で出版される際、「雪が地面から屋根の上まで積もった」という描写を信じてもらえず、勝手に修正されたとか聞きます。群馬・新潟の豪雪地ならかそれくらい降ります。
■鹿児島に旅行したいと夢想していたら、林芙美子の名前が思い浮かびました。10年くらい前に屋久島、鹿児島を旅行した際、屋久島で何度となくお名前を聞きました。有名な映画の舞台であったそうです。
自分が行った屋久島は晴れていました。四方が海なのに、海水浴に向かない海岸が多いとも聞きました。砂浜に子亀が沢山いたとか、トビウオの羽根つきで揚げたものを食べたとか、全くの観光気分でした。
浮雲。まさか屋久島に病身でヒロインが辿り着きというか流れ着き、愛人に見守られる事もなく、看護人にも死相を気味悪がられて去られ、ただ一人血を吐いて亡くなるエンドだったとは、夢にも思いませんでした。
もう少し若い頃に読んだら、違う感想を持ったかもしれません。自分もいつか激しい恋をするかもしれないと、淡い期待をした頃もありました。今の自分は、週末にたった一人で山あいの温泉地に泊まり平気で帰ってきて、平日は普通に出勤するだけの、富岡が聞いたら嫌がりそうな人生に満足しています。
■林芙美子の浮雲を読んだので、図書館に返して来ました。次に読む予定の本は、水上勉の飢餓海峡です。時代的には同じ頃を扱ったものかと思います。ある本を読んだ時、「この本がいい」と羅列してあったのを書き写し、浮雲も飢餓海峡もそのリストの作品です。
思えば新しくとも、戦前を知っている作家さんのものばかり挙がっていました。今現役で戦前を知っている作家さんはそう多くないかもしれません。浮雲と言えばインドシナですが、日本がかつてインドネシア近くまで、統治していた事に実感が持てません。
漱石や細雪でも、南洋という言葉が出て来ます。彼岸過迄で敬太郎が南洋を夢想しています。作家の中島敦もパラオで働いていた事があります。
今日本人が住むのは大体、北海道から沖縄までですが、一時期の日本が統治していたのはかなり広かったと言えそうです。当時を生きていた林芙美子ならではの舞台展開だったのではと思います。
ベトナムと言えば、大学時代の同級生が長期休みや卒業旅行に行っていて、アオザイを作ったと言う話を聞いたくらいです。 |
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