■自分は肌が弱く、紫外線に負けそうです。爪も肌の延長と言いますが、最近指先に力が入りません。職場のコピー機の紙づまりを取ろうとして、指先に力がかかり、爪が一部剥けて泣きそうです。おまけに普通に足の爪を切っていたはずが切り過ぎたらしくジンジンと痛いです。
■高松がどれくらい、ルーザー様とキンちゃんを愛しているのか考えていました。外見上からすれば、あのマジックが彼を弟の縁者と見なしているくらい、強い思いなのだろうと思います。
高松とすると。
ルーザー様とは若い時のはかない恋、又は上官に媚を売って成功したと言うだけと色々自嘲したでしょうが、南国後の高松の一番大切なものはキンちゃんだろうと思います。
やっぱり高松はキンちゃんにも、「私は青の一族ではないのだから、馴れ馴れしくし過ぎてはいけない」「私と慣れ合えば、キンタロー様の印象が悪くなる」等思うだろうと思います。あのドクター高松が普段の悪行を悔悛する、唯一の事態です。
高松は思い出すでしょうか。そういうつまらなくとも悩ましい事を延々考えていたら、ルーザー様がいなくなってしまった結末を。可愛いキンちゃんの顔を見ていても、「この子もいなくなるかもしれない」と思ってしまい、悲観して自分から去ろうとしそうです。
身に覚えのない理由で出奔しかける高松に、キンちゃんがこれまたキレたとかキレなかったとか。人の感じる恐怖や不安、痛みは他人の目には見えないし、思いやり合わないと見えるものも見えないのだと気が付いたキンちゃん。シンタロー達のいい補佐官、いい親戚でいつつ、彼の帰省先は「高松のところ」だったらいいなと思います。
■グランロデオの曲の歌詞に、「弾丸の様な〜」というのがあったと思います。「つぼみの様な弾丸で自分を撃ち抜いてほしい」という歌詞で、紀章さんの歌声のよさ、外の全部もかっこよくで原稿中よく聞いています。
現実には弾丸の様なってないなあと思っていました。自分はスポーツが苦手なので、卓球やバトミントンでも爽快感を得る前に、音を上げます。ボールとはまだお友達になっていません。
康成の文章はまさしく弾丸でした。普段漱石や谷崎、荷風の様な知的な男性でありながら、どこか和風の弱さも漂わせる甘いものばかり読んでいたので、康成の文章がとても硬質に感じられました。康成の文章って和風とも洋風とも、漢詩風ともつきません。
康成の癖は、他人の顔を凝視する事だったそうです。きっとその通りで、どんな美人を見ても、因数分解するように、彼はバラバラにしてしまうのだろうと思います。
出版社か何かの若い女性が康成を訪問し、余りに応答がなく、最後に泣き出したとかいう伝説があるらしいです。恐らくその女性は文豪に失礼のない様にと緊張していたと思いますが、彼女の気遣いとか気苦労とか、まったく康成はキャッチ出来ないのだと思います。
人を凝視する癖は、幼少期に祖父と二人暮らしだった事が原因と彼は言いますが。違う様な気がします。康成の書く女性は美しく奔放ですが、内面の苦しみが余り書かれない様に思えます。色々書いてあるのですが、ほとんど一人泣きの様な。
駒子の情愛たっぷりの色々を徒労と呼んでしまう島村は、都会人の薄情さとか、芸術家であるかとかでなく、第一に康成っぽいです。若い頃突然婚約破棄されたのを康成は何度も作品の材料にしていますが、求婚された女の子も、「彼はどうにかなりそうな娘なら誰でもいいのだ」と思ったでしょうか。
当時康成が家族愛に飢えていた事は疑いないかもしれなくとも、康成に愛敬や愛情、愛想を注ぐと「(美しい?)徒労」と言われるのを想像し、彼女は身をひるがえしたのかもしれません。 |
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