■何となしにりぼんを読んでいた頃(中学前)。自分も年齢さえ上がれば、素敵な彼氏が出来て、都会的なデートが出来ると信じていました。無論年齢如何ではなく昨今の子供は早そうですが。
どうもそんな事は無かったです。住んでいる場所の草深さのせいにはしたくないものの、自分は女の子というものより虫に近かったと思います。自分にも、お洒落しようと思えば出来なくない女体というものがあったのだと、大学を出てから知りました。
女として自分を飾る知識も金もないまま(高校くらい)、家でジャンプ漫画を読むのが何よりも幸せでした。いじりもいじられもしない女体を持て余すより、汗だくでバスケする桜木達に共感し、勝手に頭の中は湘南海岸にワープしていました。
そんなので男性作家の作品を今もよく読みます。古い作家だと女流作家の人数が少ない事もあるのかもしれません。戦前の女性作家と言うと、好んで読んだのは紫式部まで遡ってしまいます。
ですが、男性作家の書く世界を女の自分がどこまで理解、共感できるのか不安になって来ました。谷崎、荷風、漱石を読んでいると勝手が分かっている様な気になりますが、鴎外や康成を読むと、これが性差かとたびたび思います。
■高松はキンちゃんに、ルーザー様の美点の数々を伝え、継承し、大事にしてほしいと思っている反面、ルーザー様の短気、横暴さ、感情の激しさ等は真似て欲しくないだろうと思います。ムシのいい事ですが、高松がルーザー様の事を忘れるのは不可能だし、キンちゃんの五体は何もかもルーザー様の生き写しです。
ルーザー様を(高松的に)筆頭とした青の一族に萌えるあまり、高松が自分の髪を金色に染めるとか、カラーコンタクトをつけるとかに走らなくて、本当によかったと思います。真似て真似られるものではなし、図々しくても見っともなくてもいいから、高松に自分を見失って欲しくないです。
■人の真似をしても幸せにはなれないと、中2的な事を考えていました。人と同じ事をしないと普通には生きていけないというテーゼもある訳で、個性とか幸せとか言っていられないくらい切羽詰まっている時は、人真似でも何でもいいから、生き残りたいものです。
仕事の都合で、通信教育を受けました。テーマは三国志と現代ビジネスです。テキストが何冊か来て、読んでレポートにして添削してもらうあれです。三国志をビジネスに生かそうという、学生の頃三国志オタクをしながら憧れた状況です。楽しかったです。
三国志の中にも、人と違う事をしようと思う人があるし、人の評判に対して慎重になる人もいます。どっちがどうと言う訳でなく、周囲から何が求められているのか機敏に察するのが大事なのだろうと思います。
そんな事が出来るから英雄なのか。英雄の生き方に、凡人の自分が学んでいいなら、三国志の英雄たちは自分の親友みたいなものになります。一番好きなのは孔明ですが、通信教育のテーマに選んだのは黄忠でした。
黄忠は、横光三国志でもパワフルでありながら知性・気力も十分に備えたおじいさんでした。一徹に振る舞えたのは、彼が政治家ではなかったからかもしれません。自分も曹操や孔明の様に、有名な政治家として舞台に立つ事はなくとも、黄忠の様な厚い生き方をしたいと思いました。 |
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