 ■我慢できなくて、井上靖の敦煌を読みました。学生の頃なら「世界史のテストにでるかも」と理由をつけて読んだでしょうが、いい年になった今はどこまでも趣味です。格好よく言えば教養でしょうが、何かの目的を持ってこの小説を読む事は的外れの様に思いました。
ちなみに趙行徳は西夏を離れた後も、ずっと受験生のままみたいです。
■アニメおそ松くんを見ていました。イヤミとチビ太がほぼ主人公で、六つ子の区別が全くつかないアニメの方です。昔のギャグアニメだけあって、規制も何もなく、どのキャラも自由に暴力やセクハラをしています。
今のおそ松さんが「クズ」と結構言われていましたが、確信犯的な「クズ」と、昔の奔放な描写はいい勝負かもしれません。おそ松くんと言えば、イヤミやチビ太の泣かせる話も合間合間にありますが、小学生の六つ子達は脇役扱いなのか、イタズラ小僧を通しています。
おそ松くん・さんは必ずしもつながっていないとしても、カラ松・十四松・一松あたりの人格変化が壮絶です。トド松・おそ松・チョロ松は順当な成長に思えました。
■ヘルペスが普通のかさぶたになりつつあるので、一安心しています。軟膏や塗り薬の力は大きいと思います。
■明日、郵便局に原稿を出しに行こうと思います。小説部分はこれから誤字脱字等がなければ、パソコン上で送ります。一昔前は郵送の入稿が普通だったと思いますが、今は全部パソコン上が普通なのだろうなと思います。
■グンマについて考えていました。
南国後、高松の呪いみたいなのから、どれくらい解放されたろうと思いました。高松にグンマを呪う気はなかったと思いますが、「グンマ様の出自や能力がばれたらまずい、大人しくしていて欲しい」という自分勝手さはあったと思います。
高松しか頼る人がいなかったグンマは、その呪いを引き受けると思いますが、高松本人がいなくなった後でも、結構尾を引いていると思います。グンマの周囲に「高松みたいな人」はいなくても、高松の様に寂しい人や、高松の様に仕事熱心な人はチラチラいるだろうと思います。
グンマも科学者ですし、完全に高松的なものから脱する事はすごく難しいでしょう。女の子ならお嫁に行くという選択肢もあったかもしれませんが、高松みたいに孤独で我儘で熱っぽい人の所に行ってしまいそうです。
世の女性が「父親に似た人」と結婚しがちなのは、別に父親が好きだからでなくて。父親と言う男に自分の20年くらいをいい様にされた事を、認めたくないからかもしれません。
考えてみれば、普通の恋愛や友情なら、相手を選ぶ事が出来ます。仕事上の人間関係なら、ある程度までは諦められるでしょう。選んでもいないし、諦めるには付き合いが長過ぎた「父」というものの呪いと、グンマと高松の関係は似ていると思います。
キンちゃんだって同じじゃないと思いますが、あの子と高松は母親と息子の関係なので、支配力が左程強くないんだろうなと思います。むしろキンちゃんが高松を守りたいとか、ライバルは父のルーザー様であるとか、感情の方向が違う様な気がします。 |
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