■グンマと高松って、親子が持つあらゆる面を全て持っていそうです。父と息子って自分には分かりませんが、娘と母ならば、高松の女性としての面に共感したり、反面教師にしたりと、グンマは高松に多忙そうです。
南国とPAPUWAを読んで思うのは。原作者が「男好き」「女嫌い」なのは明白です。ですがだからと言って、男性キャラばかり出しても、平面に男性しかいない状況では、男は男たり得ない気がします。
カミヨミの様に、レギュラーヒロインや主人公の母がいればよかったかもしれませんが、南国の(原作者の中の)ヒロインはサビ、PAPUWAの(原作者が声高に主張した愛され)ヒロインはリキッドです。
そうなるとどうなってしまうのかというと、キャラの無性化でしょう。ジェンダーや性別にとらわれない、というのではなくて、よく言えば地方の女子高みたいな感じでしょうか。「料理できる男」も、「本来家庭で料理に励む女性」の姿が劇中にないので、インパクトが薄らぎます。
グンマと高松においてはどうなるのか。それぞれ「友達」「配偶者」という、外の要素がないため、とんでもない密閉状態になりそうです。経済的・立場的にはハイクラスなため、差し迫った恐慌もなく、グンマは細雪の雪子の様に、何となしに「異性」「知らない人」に出会わないまま、潔癖に過ごしていそうです。
グンマが雪子なら。高松は夫の御牧や、他の求婚者達、貞之助ではなく、雪子を生み出した谷崎その人の様に思います。
■緋色の習作を読み終えました。ホームズはあくまで物語のアウトラインで、その更に大きなアウトラインとしてのワトソンの存在でいいのでしょうか。
ワトソンが知りえない事は、劇中に出てこない事になります。鴎外の雁ではないですが、当事者達が雄弁に語らない限り、家庭内のイザコザ等は部外者には分かりません。
読んでいて気が楽なのは、メグレものかもしれません。どんな犯罪者に対しても、一応は平等で温かいのがメグレと言えそうです。彼は探偵にして警察です。ただし、犯人を捕まえた後、犯人の罪の重さを決める裁判に彼は関われないので、ジレンマが大きいのだそうです。市井の苦しみと、法曹界・上流界の冷たさの間に立つ男、それがメグレでした。
ホームズの場合、全ての依頼は個人的な事から始まりそうです。警察からの依頼を受けての事も多いと思いますが、ベーカー街の下宿に、多彩な人が訪れる様子にワクワクします。
小さな事件や、明らかに人間のいやしい部分が最大限に描き出される様なエゴの話等と、モリアーティ教授は繋がるのでしょうか。どうしても犬ホームズの方が頭にちらついて、可愛らしいハドソン夫人にぞっこんなホームが懐かしくなります。
原典のホームズって、かよわいと言うか。男なら個人で探偵をしているより、自分がトップになって、一大企業を作る野望を抱いてもいいのではと思います。ワトソンからの友情と、当人の価値観だけを基準にして動くホームズは孤独です。 |
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