■グンマと高松について考えていました。彼等は同性の家族の様にお互いの事を知り過ぎていて、もう特記する事がないのかもしれません。
キンちゃんと高松でも同じ事が言えそうなのですが。キンちゃんは高松について、まるで異性に向ける様なミステリーな気持ちがあるんじゃないかなと思います。何回話してもらっても、ルーザー様のお話はやはり過去の事であり、高松を媒介にして知るお伽噺の様な、夢の様な面がありそうです。
グンマは高松を永遠に許さなくとも。キンちゃんは高松に寛容なのでしょう。この違いは大きいですが、キンちゃんは自分の価値観でしか「グンマと高松」を解釈出来ないだろうから、今日も開発課は平和です。
■先週行った、飛騨高山と下呂を思い出していました。知名度に恥じない立派な観光地でした。御飯が美味しいとか、温泉がいいとかはもう語るまでもないと思います。
かの地で、自分は嫉妬深い女だと思いました。嫉妬深い人間と言ってもいいと思いますが、女性を見て妬心に燃えるなら、前者でいいと思います。
高山にも、下呂にも卒業前後だろうと思われる若い娘さんが大勢来ていました。若く美しく、幸せそうな容貌に妬心を燃やすならまだしも、自分が思ったのは若かった時の困窮についてでした。
食うに困るとか、学費を滞納した等はありませんが、色々な事情で贅沢はしなかったと思います。綺麗な服を着て、素敵な観光地に遊びに行くなんて、「貧乏」過ぎて夢にも思えませんでした。今はサラリーで何でも出来ますが、観光しているお嬢さん達に向けた卑しい心は、まだ消えていません。
■ホームズを読んでいます。何となしに、イヌホームズが脳裏にあったのですが、別物であると思いました。イヌホームズは素晴らしく、太めのワトソンや、可愛いハドソン夫人が大好きでした。
さてホームズですが。氷菓で「人が亡くなる話は嫌」だと、えると本郷さんは言いますが、今の所平和的なホームズ譚に出会っていません。犯罪、また犯罪の繰り返しです。ミステリーなので仕方ありませんが、ワトソンの口吻や、ホームズその人がいなかったら、世界は阿鼻叫喚でしょう。
自分の読んでいる本の解説には、「ドイルは母メアリーの不義を罰している」とありますが、本当にそうだったとしても、大体劇中は陰惨な殺人が多いです。ホームズものの魅力は置いておいて、ホームズでないものが書きたいと願っていたらしいドイルの思いは分からないでもないかもしれません。
皮肉なことに、ホームズの退場はドイルの力でも、ホームズ自身の事故故でもなかった様です。ホームズと言えば、辻馬車に電報と言う、レトロな世界です。こんなに馬車が出てくる作品は、ジェーン・オースティンを読んで以来です。
オースティンの頃の身分ある男女のあり方が崩壊すれば、あのムードは二度と来ない訳で。電話や他の科学技術が発達すれば、あのホームズの雰囲気も時代とともに薄れ、ドイルが再び「ホームズ」に追い詰められる事はなかったのでしょう。
でもホームズと言えば、科学的な男です。実験が好きなのはよく劇中で書かれていました。科学的な最新の技術なら、飛び付きそうな気がしましたが如何でしょう。ホームズの「怠惰」な面を思えば、ビクトリア朝のおっとりしたムードの中でだけしか、彼のエネルギーは開花されなそうです。 |
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