madeingermany

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...... 2017年04月16日 の日記 ......
■ 少女   [ NO. 2017041601-1 ]

■幸せになるには何が必要なのか考えていました。勇気と想像力、そして少しのお金とチャップリンは言っていたそうです。「お金」と明記されている所に、現実味があります。

自分は後、「慣れ」が必要かもと思います。自分の書く高松は、よく逃亡します。劇中で「可愛いキンちゃんの側にいる事」から逃げ回る高松なので、あながち妄想ではないと思いますが、何故高松が逃げ回るのかと言うと。

キンちゃんとルーザー様と言う、最も高松を幸せにする人達に対し、慣れがないからかもしれないと思いました。サビなら何億貢がれても、平気な顔をしているでしょう。でも高松は欠乏・欠食が常態だったのでは。そうでなかったら、若くしてあそこまで「偉く」はならないでしょう。

大好きな彼等と一緒にいても、「どこかへ行ってしまうかもしれない」「置いて行かれるかもしれない」「この人達を自分は遠からず失うかもしれない」と思うと、恐怖のため、自分から出て行ってしまうのかもしれません。



■以下、根も葉もない独断と偏見です。


・古めの少女漫画を読んで。昔りぼんは250万部売れていたらしい。1994年の事なので、自分は購入していたと思う。セーラームーンやCCさくら掲載時の、なかよしの記録的販売部数はまた意味合いが異なるので、あの250万部時代は、純粋に「少女」が対象であったと思う。


・何故少女漫画は衰退したのかというと。時代が変わったからと言えるかもしれない。ひみつのアッコちゃんの時代から、漫画の少女達と言えば。

■お父さんは会社役員か、作家、テレビ局員等の、有名で高収入の男
■お母さんは、愛らしい専業主婦 毎日ケーキとか焼いてくれる

まさか、「父親は平凡なサラリーマンだったが、不景気でリストラされて、娘のアルバイト収入がないと、家計が回らない 学費が足らず高校卒業出来ないかも」なんて、少女漫画ないわけで。全くない訳ではないけれど、りぼんにはなかったと思う。

なかよしのきんぎょ注意報は、ド田舎の貧乏中学校が舞台だったが、あれはギャグであり、ヒロインである千歳は堂々たる「お嬢様」である。服も買えない様な主人公は、基本的に少年誌のものかと思う。

裕福で華麗な少女達の、優雅な日々が描かれる「少女漫画」への共感が、難しい時代になったのではと思う。吉住先生の漫画では、「スキになった男の子のために転校・引っ越し」等よくあるけど、動く金高を思うと、ゾッとする。



・少女に必要なのは、男と金なのだなと思う。言い方が乱暴であるけれど、「心身及び経済的に自立した女性」が少女漫画に出ては絵にならない。峰不二子の様に、男は利用するもの、お宝は盗むもの、では恋愛漫画にならないし、そんな女性像を推奨するりぼんではない。

■娘に大抵の自由を許してくれる、寛容で金払いのいい父親。

不景気な上に、ミスチルが歌う世界の様に乾ききった最近の世界に、そんな父親いるのだろうかと思う。いや、今も昔もそんな父親どこにもいなくて、少女漫画雑誌りぼんの衰退は、そういう幸せなお嬢さんがどこかにいるのだという、共同幻想が滅びたという事に過ぎないのかもしれない。

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