■暇になると漱石が読みたくなります。多分、忙しい時にそれからとか読めばムッとします。テツぼんの主人公の祖先も高等遊民だったそうですが、要はテツぼんの主人公も、金持ち一族の人間なのではないかとうがってしまいます。
(主人公は大卒。卒業後はフリーターであるが、鉄道は趣味にすると大変お金のかかるものだと思う。資金は?と思うが、出所は父親以外あるのだろうか。鷹揚で誠実なのが主人公の長所だけれど、「ぼん」だからと言えば自分は納得する。)
行人の一郎は、結婚してはならなかった男の様に思います。殴られ、無視され、罵倒もされ得る直が余りに余りです。そういう男ほど、家族以外の人の前では、愛想のいい家庭的な振る舞いをするのですが、一郎はそんな人です。
一郎はいいとこないじゃないと思ってしまいますが、漱石の書き味の極みを楽しむというか、一郎の細やかな内面を思うと、自己投影して、彼の全てが理解出来た様な気になって来ます。直と二郎がその後どうするのか分かりませんが、「不幸な他人の妻」が大好きな漱石だから、二郎の今の幸せを保つためには、直が一郎に折檻されているしかないのかもしれません。
■細雪を始めて読んでから、大体20年になります。大学で何となくクラシックな作品を読んでみたくて、手にしたのが細雪でした。
高校の頃は受験対策も兼ねて、世界史の方が好きでした。特に中国古典ばかり読んでいたので、しっとりした昭和モダンな感じがよかったです。初めて読んだのが10代の終わりの事なので、当時は当然気が付かなかったのですが。
細雪って、女性の年齢についてかなり失礼な事を書いています。永遠の美女、とされているだろう雪子、本作の進行役であり皆の良心と言える幸子は、若い若いと常に言われます。出番の少ない鶴子も、流石この姉妹の姉であると、大勢の子供を持ちながらも、ツヤツヤとした容姿を絶賛されています。
ひどいのは妙子の扱いです。
■「29歳と言う大年増」 ■「そんな服を着ていたら、若く見える」 ■「(妙子の体調がよくない時)本来の年齢と品性をさらけ出している」 ■「本当はそんな年じゃない」
細雪の序盤では、快活なお嬢さん扱いさえされる妙子ですが、話が進むにつれて、彼女の評価は転げ落ちて行きます。妙子が何かしなければ細雪の話は進展しないんですが、よく谷崎にしてここで我慢したなと思う様な堕落ぶりです。
妙子の不始末と言えば、奥畑との駆け落ちです。雪子が妙子をかばう時は、「両親の愛を受け取る事なく成人した悲劇の結果」「若かったから」とあれこれ弁じたものですが、下巻ではそんな弁護などされません。
蒔岡家が名家である以上、妙子は幸せになりたいなら、雪子の様にじっとしているのが正解だったのでしょう。義兄辰雄への不信感なら雪子も妙子も同程度だったと思いますが、雪子の方がよりねちっこく、よりプレッシャーを彼に与えていたと思います。
谷崎も、鶴子夫妻のように妙子をかばう気はない様です。モダニズムの花形だった様な妙子の、下巻の姿を末路とは呼びたくないです。
(谷崎の事だから、モダニズムへの陶酔が冷めたのかもしれない。妙子はその墓標か。) |
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