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...... 2017年04月29日 の日記 ......
■ 異性というファンタジー   [ NO. 2017042901-1 ]

■南紀白浜温泉にいつか行きたいです。長い歴史で有名で、地図を見ると大阪から便もよさそうです。

大阪には同人誌即売会で大体年二回行きます。少し頑張れば、鳥取の三朝温泉、皆生温泉、兵庫の有馬温泉、洲本温泉、等あるなあと思いながら、イベントが終わると新大阪からまっすぐ帰ります。

本気を出して、鳥取まで行った事があります。お金がかかるし、遠出しても行きたい場所が多過ぎて焦れる事もあります。ですが行きたい所があるのは、それだけで幸せな事なのだと思います。修善寺の菊屋には、絶対いつか行きます。



■漱石を読んでいると、後半の作品ほど読みにくくなっていく様な気がします。漱石と言えば猫、坊ちゃんですが、初期の作品の読みやすさ、簡潔さは際立っている気がします。夢十夜みたいな作品は別としても、門まではとても読みやすい小説だと思います。

彼岸過迄以降、グッと読みにくい話になっていく気がします。第一に、物語が進展しません。彼岸過迄では、須永と千代子の存在がちらつくのですが、明るく元気な千代子の印象が書きこまれれば書きこまれるほど、須永の意気地のなさと、周囲の思惑の混迷?具合が強まり、いつまでも千代子は須永を待つはめになります。




今もそうですが、女性の婚期は実に短いです。男は何歳になっても夫、父親になる事が可能ですが、女性はそうはいきません。こころの先生は、妻の静とのセックスを拒み続け、静は先生へ理解や同情を通り越して、侮蔑さえしています。

須永は今の素直な千代子がいいと言い、結婚して彼女を奥さんにしてしまえば、千代子は別人になってしまうから、彼女との結婚が嫌なのだそうです。義母の思惑への反発もあったそうですが、そちらは微々たるものでしょう。




男がいるから女は不幸になる、というのなら自分もそう思います。しかし漱石の書く男達が不幸にしているのは、皆、彼等に好意を持ち、彼等の子供を生んでもいいと思っている女性達ばかりです。何が不満で、彼女達の愛情や若さ、誠意を彼等は踏みにじるのでしょう。

多分、漱石が異性というファンタジーをある時期から持たなくなったせいだろうと思います。結婚して異性に幻滅したというたぐいのものではなく、もっと漱石にしか分からない理由で、漱石は異性にファンタジーを抱くのを止めたのだと思います。



夫を捨てて、何も持たない自分に駆けつけてくれる女性とか(三千代、お米)。素晴らしい縁談があるのに、自分へ本当の愛を捧げてくれそうな女性とか(美禰子)。そっと健気に自分だけを支持してくれる女性とか(糸子)。そんな小説の中だけにしかない女性を夢見る事を、漱石はある時から止めたのかなと思います。

行人は姦通モノですが。姦通程小説的で、非現実的なものはないでしょう。直程の女性なら、その愚かさを実行せずとも分かるでしょう。直は二郎と談笑しただけで、義母義妹夫から、「不倫だ」と決め付けられかけています。直が(不誠実で冷たい)二郎を頼もしく思うはずありません。

二郎と直が姦通を果たして新たなる夫婦になるのは、鴎外の舞姫で、豊太郎がエリスと子供のためにドイツに残るくらい、あり得ない事です。そう思うと、鴎外ってものすごく初期からリアリストだったのだなと思います。

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