madeingermany

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...... 2017年05月01日 の日記 ......
■ 草枕   [ NO. 2017050101-1 ]

■スパコミは既刊のみです。受かれば夏コミで新刊を出す予定です。落ちても夏のインテで本を出す予定です。高松ばかりですが、興味を持っていただけたら嬉しいです。キン高・ルザ高、ルーザー様存命パラレルの漫画と小説、200円均一で現在16種あります。竹淵


■黒執事Uを見ています。シエルの対のキャラとして出てきたアロイスですが、執事のクロードに早々に殺害されています。もう少しシエル・セバスVSアロイス・クロードな展開を見たかったです。

クロードまでもがシエルの魂を欲しがるようになってしまいました。シエルとアロイスの最大の違いは、貧富の差でしょう。シエルは両親がいなくなっても、財産と爵位があります。家令のタナカさんも健在です。

側に使用人のいる事が普通であるシエルと。側に弟しかいなかった貧しいアロイスでは、そもそも価値観にズレがあります。お互い、執着するものが最初から全く違うのです。魂の上下が貧富の差で決まるなら、ちょっと残念です。




■自分はきちんと日文の勉強をした事がありません。以下、漱石雑感です。

猫や草枕を書いていた漱石が、彼岸過迄以降のヘビーな内容を書くのはムリが出るのではと思います。三四郎、それから、門以降は、手紙や伝聞、第三者の目からの語りが多くなった印象を受けます。

それからの代助の全てを、語り手は知っているはずです。しかし行人の語り手である二郎は、一郎と直の全てを知っているはずがありません。二郎は一郎と直にとって、冷たい野次馬にしかならない時もあります。まさしく、どうする連です。



漱石は自然主義の人ではないと思います。それからで煤煙を批評する場面がありますが、男女が不義を働くなら、相応の心理描写が必要だと代助は言い、センセーショナルな煤煙に興奮している門野をたしなめていたと思います。

そんな漱石が、猫や草枕の様な間接的な書き方以外で、女性が書けるかというと疑問がわきます。文豪である漱石に疑問なんて抱くものではありませんが、明暗の、まるで新婚らしからない延子の描写を読むと悲しくなります。彼女の努力は新妻らしからないというか、無味乾燥な足掻きにしか見えない時があります。




行人の煮え切らない直の描写が、漱石三部作の退路の様に思えます。自伝的な道草は別としても、既に夫に愛想を尽かしている静は、女性の描写としては既に三千代の様なパトスが相当に後退していると思います。それからは小説と言うファンタジーでのパトスだったとしても、読みごたえは十分でした。

漱石はフェミニストではありませんし、女性解放家でも何でもありません。明治のインテリ男性です。それも恐らく当時最先端の思想を持った男の一人です。その漱石のほんの一部を持って疑問を抱く自分はどうかしていますが、虞美人草で漱石に殺害された藤尾、色々後ろ暗い設定を盛らされた那美さんが自分が好きです。

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