■四季島の影響か、JR東の株が見たことないくらい高くなっています。JR九州の看板の一つ、ななつ星の存在を思うに、豪華列車のパワーはすごいのかもしれません。在来のダイヤを乱す程本数はないはずなので、ニュースになっていた様に「鉄」から罵倒されては可哀想です。稼いでいるのに。
何だかんだ言って、新幹線偏重になりがちなJRに対し、在来線の良さを見直すいい機会になるのではと思います。時速100キロくらいで走ると思うので、車窓がよく見えると思います。(※新幹線は大体300キロくらい。遮音の壁、トンネル等も多いので、「車窓」はないに等しい。)
■毎日飽きもせず、漱石作品への妄想を書いています。こころは毎年の様に角川から「夏に読もう」的にアピールされますが、アピールされるごとに、ボーイズラブ小説としての認識も広がっているという嘘のような話も聞きます。
漱石の小説って、大体男しか出て来ません。主人公の妹、妻、母、姉等も出て来ますが、何せ明治大正の事なので、彼女達には人格が与えられていません。ボーイズラブものに出てくる女性キャラくらい、フワッとした感じです。
ちょっと病んでいる系のインテリ青年が、竹を割ったような好青年と幼馴染・同棲・一緒に通学・夏は房総半島へ避暑に、というのが「こころ」です。インテリ青年の熱いラブレターが延々続き、自殺してしまった相手の青年の墓まで自費で立てるは、ちょっと近年例のない壮大なボーイズラブが漱石かもしれません。
妄想は妄想であって、いかに漱石の書く青年達であっても、女性を妻にします。しかしこれまた妙で、まるで三人婚の様な面倒くささです。
男×男を誤魔化す様に、彼等の近親の女性が「彼等」の求愛に巻き込まれます。行人の一郎の、二郎と直を和歌山に行かせる奇妙さは、ここにあると思います。
本当は一郎×二郎、ないし二郎×二郎と言う、一郎という孤独な男の実弟への求愛だったのに、やっぱり男×男が全面に出てくるはずないので、一郎のキューピッドとして、直は二郎と一夜を過ごす事になったのだろうと思います。直は馬鹿ではないので、サラッと帰って来ますが。
書いていて気持ち悪くもありますが、土居教授の「甘えの構造」シリーズに同様の突っ込みがある事を申し添えます。
■猫・・・苦沙味先生 迷亭 細君 ■虞美人草・・・甲野 宗近 糸子 ■それから・・・代助 平岡 三千代 ■門・・・宗助 安井 お米 ■行人・・・一郎 (Hさん)二郎 直 ■こころ・・・先生 K (私) 静
本当に人格を持って愛し合い、一つになろう、ないし一つになりたいと切願しているのは明らかに男達で、その男達の人形の様に、というか男と男をくっつけるセロハンテープの様に利用されているのが、漱石の書く女性達です。 |
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