■漱石の門は、一種のパラダイスを漱石が書こうとした作品なのかなと思います。外部の人間に左右されない、男女一組の小さな暮らしの話です。
宗助とお米の小さな楽園のひずみと言えば、小六の大学中退騒ぎ、お米の元夫が帰って来た事、です。最大のひずみは、宗助が唯一無二であるお米との気持ちのずれを感じる所です。
姦通によるパラダイス、楽園の創出なら、門に書かれているのでは、と行人を読みながら思いました。宗助が友人の妻だったお米に手を出した描写は門ではあっさり書いていますから、「姦通の全て」みたいなのを行人では書く気だったのでしょう。「夫の許しを得て、夫の弟と旅先で結ばれる」という、谷崎でも書かない様な舞台設定です。
んなアホなと思います。アホだなあと思うのは竹淵だけでなくて、当の直が冷めきっています。一郎は直を虐待し、自分への怒りを喚起しようとか、体罰教師みたいな事さえします。体罰教師とその弟というどうしようもないコンビに翻弄されもせず、行人の陰気な世界を泳ぎ切った直の生き様は見事でした。
■働きアリの群れの中の何割かのアリは、働かないそうです。ならばと、働くアリだけ集めてグループにすると、やはり働くアリ・働かないアリが出現するそうです。働かないアリを集めて再グループ化しても同じで、新しいグループの中で働くアリ・働かないアリが出てくるそうです。
何故日本において一向に男尊女卑がなくならないのか、これが理由になるのかなと思います。昔大学で、グローバルヒストリーという講義を聞いた時の記憶からです。
・昔は欧米といえども、男尊女卑が激しかった。しかしアフリカやインド、アジアを植民地にし、有色人種の非支配者層が生まれた事により、白色人種の女性の地位が相対的に向上した。「日常的に男性(植民地出身の奴隷)に命令を出す女性(白人種の家庭婦人)」が欧米に登場した。
・日本も満州、朝鮮半島、南洋、台湾、南樺太を植民地にしたが、欧米ほど「経営」していた訳ではないので、内地の人の暮らしを激変させるような影響はなかったと思う。
だから日本は昔の欧米の様に、男尊女卑のままなのかもしれない。たまたま欧米は「上下関係」の舞台にアフリカ等の植民地という拡大があったから、勢い欧米の婦人の地位が向上したけれど、日本は全て国内で「上限関係」が決定される。
谷崎の細雪で、板倉が幸子一家から「差別」されていたくらい、明らかな経済的?「上下関係」があれば違うかもしれないけれど、今は原則そこまでの身分差はない。あるのは「男女」「長幼」の区別くらいで、そこにギスギスとした集団倫理が現れるのだろうと思う。 |
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