■夏コミの新刊の表題は、「六月の花嫁」の予定です。高松本です。発行が8月なのでずれていますが、六月=ルーザー様と思ってつけました。劇中で6月が誕生日なのは、ルーザー様だけの様です。
調子に乗って、表紙の案を考えながらブライダルっぽい物を考えていました。乙女系のムードを何回か目指そうと鉛筆でガリガリ描いていました。しかし高松、ルーザー様、キンちゃんには、白衣・ネクタイないしハイネックが似合うなあと言う結論になりました。
原作セーラームーンみたいな、キラッキラの服が大好きなのですが、自分で描く事はなさそうです。
■うたプリ先輩組の歌を聞いています。贔屓はランランですが、全員好きです。ゲームはしておらず、アニメとCDからだけの感想である事をお許し下さい。嶺ちゃんは我慢強い人だと思います。あの笑顔と包容力は、想像もつかない我慢と苦労の上にあるのかもしれません。
■原作ナウシカは、愛する虫や腐海が、憎むべき?先人の作品であった事を知ります。虫愛ずる姫君であるナウシカでも、墓所に敬意を払うことは無く、墓所を破壊します。
墓所の計画が順調に進んだとしても、腐海が地球を浄化するのはずっと先の事です。ナウシカ自身の世代はもとより、劇中で想像しうる「人間」の世界は大体虫と腐海で一杯でしょう。
ナウシカが墓所を破壊しても、あまり世界の現状は変りありません。それくらい、ナウシカの最後の決断と行為はあまりに哲学的なものでした。連綿と続く「人間(文明人からの)」の営みの中に自分を見出すのか、今現在、腐海のほとりに住む人達の中に見出すのか。
ナウシカは後者でした。彼女の知性と行動力と影響力なら、何かとてつもないムーブメントを起こしそうですが、彼女の後半生は穏やかなものになるようです。以下、ナウシカ雑感です。
・墓所は、ナウシカ達今の人類、虫、腐海の生みの親と言える。墓所なくして、ナウシカ達の世界はなかった。
それはナウシカ個人にしてみれば、「ジル夫妻と自分」という事に、置き換えられるのではと思う。ジルとその妻がいなければ、ナウシカは存在しない。
ナウシカは十分夫妻の期待に応えたと思う。丈夫に育ち、賢い娘にナウシカはなった。しかしジルはあくまで族長であり、妻に11回の妊娠と、10回の死産等を経験させたのは彼である。妻は耐えたが、末娘のナウシカが生まれた頃には疲れ切っていた。
ナウシカは夫妻に感謝する事はあっても、自分と彼等を同一視し、父の様に谷の族長としてだけ生きるとか、母の様に女性としての悲しさに耐える人生は選ばなかった。ナウシカはいつの間にか、両親と決別したのだろうと思う。母と自分、父と自分は違う人間だと思わなければ、生きて行かれないと思う。
ナウシカの墓への容赦なさは、そのまま彼女の父母への意外なまでの葛藤と別れの表れなのかもしれないと思う。病気だったジルと、疲れ果てた母にナウシカが手を上げる事はなかったけれど、内心、それくらい吹き上げる何かが彼女の中にあって、だから、本来彼女の居場所であった風の谷を、飛び出したのかもしれないと思った。 |
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