■ルーザー様に生活の仕方や仕事等を教えたのは、最初は家庭教師や執事だったとしても、ミツヤの影響もあったろうと思います。マジックはミツヤ本人を否定して排除しても、ミツヤの「やり方」は大部分踏襲しているので、ルーザー様はもしマジックに仕事他で顰蹙を買っても、何の事だか分からなかったろうと思います。
ミツヤの、目的のためには邪魔だと思うものを排除するって考え、南国のマジックそのものだなと思いました。兄のやり方に従っているはずなのに、どうしても叱責をくらうルーザー様が哀れでなりません。
■初有川作品を読み終えました。阪急電車です。「僕の可愛い彼女のキュートな仕草(概略)」とかサラッと書いてあるので、アニメっぽいなと思いました。後半になると、前半の物語の続き故に、各キャラの交流が始まります。
カップルは肉体関係を持って同棲を始め、同性同士はお友達になって行きます。どんだけテンションを上げれば、この文庫についていけるのかと思いました。アニメや漫画だと「みんな友達(これはよくある?と思う)」「みんな肉体関係がある(NANA的な関係?)」な作品に出会う事がありますが、小説で出会ったのは初めてだった気がします。
■落語心中9巻を読みました。アニメの方はまだ見ていません。事情で先に10巻を読んでしまっていて、なんとなく流れが想像出来たのですが、びっくりしました。
何故、助六とみよ吉は、どこまでも師匠と小夏を追い詰めるのでしょう。師匠は大噺家、小夏はその養女で今は一児の母で夫もいます。助六とみよ吉から見れば、師匠達は大落語家でも、主婦でもなく、ただの菊さんと幼児なのでしょう。
助六に振り回されていた菊さん、子供子供していた小夏のまま、助六とみよ吉は彼等を見つめるから、現在の師匠と小夏は、今の自分の幸せと過去の思いに挟まれて、苦しくなるのだろうと思います。
しょっちゅう出て来る、助六とみよ吉の幽霊?は本物だそうです。ならもっと明るく、今生きている師匠達を励ますような事をすればいいのに、むしろ地獄に連れて行こうとします。ある意味生きていた頃の助六・みよ吉のままです。
みよ吉は「女」である事が生前最大の武器でした。美貌と腕で渡って来た彼女に、怖いものなどないと思いたいですが、女であるデメリットを一身に浴びているのも彼女だなと思いました。
女とは、男に尽くし、男に愛される事で一人前の女になり、初めて幸せになり得るのだと、今でこそ神話の様な説ですが、みよ吉の時代には嵐の様に吹き荒れていた「常識」だったろうと思います。みよ吉の様な苦労をしてきた女性は、男性に敬遠されそうです。
その魅力故に崇拝者が多数いたみよ吉でも、「妻」「家庭」という意味合いでは、彼女に二の足を踏む男が多かったのかもしれません。当時の風潮を思えば、みよ吉の怒りと絶望はどれ程だったろうと思います。菊さん、師匠も同じ事で、みよ吉をそういう意味で背負い込む事は出来ませんでした。
お蔭で、「あたしより落語を取った。あたしより小夏を取った。あたしといた時間より、弟子なんてもった今現在の方がいいんでしょ」という、冷たいみよ吉の目に、師匠は永遠に苦しめられます。みよ吉は、男を励ます女ではなかったようです。
師匠は、「今と過去」「落語とみよ吉」「助六とみよ吉」という答えの出ない自問の中にずっといます。落語に邁進すれば、自分の中のみよ吉が牙をむき、今を楽しめば、過去のみよ吉が飛びかかってくるのかもしれません。 |
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