九州新幹線800系が呼んでいるので、鹿児島中央〜博多まで、新幹線に乗って来ます。つばめが走る便を確認してあるので、乗れるはずです。九州、熊本、鹿児島と言えば見るべき観光地が目白押しです。桜島遠景と、漱石関連のものは一個でも押さえて来るつもりです。
漱石って、若くして作家希望だったのではなく、かなりの年齢まで、大学教授として働いていました。熊本で過ごし、英国留学を経て、東京に帰り、猫等の発表に至ったを聞いています。高校の頃、熊本に修学旅行で行った事がありますが、忙しすぎてあまり覚えていません。今回もあまり余裕がないので、もう一度機会を作って来ようと思います。
■CCさくら雑感です。
・薗美さんは、知世が小学校に上がり、さくらに出会うまでさくらの存在をしらなかった。漫画的な演出とも言えるけれど、何故こうなったのか。
撫子の第一子は桃矢である。高校生で妊娠出産をし、その父親は高校教諭だったというあたりで大変だが、入籍している事と、桃矢が男児であった事が救いだったのかもしれない。
薗美さんがどれくらい過激なのか分からないが、もし撫子の第一子が女児・さくらだったら、「この美少女はおじいさまの家で育てる」とか言い出して、誘拐まがいの事までしかねない。撫子の死後数年たってあの勢いなので、当時の薗美さんの藤隆への人格攻撃、撫子へのあわれみ、その他妨害行為はすさまじかったのかもしれない。
そんな薗美さんに、「私は藤隆さんと結婚して幸せです」とアピールするだけだった撫子はタフだったと思う。ついでにさくらが第二子である事も、幸運だったと思う。薗美さんの攻撃、妨害行為が落ち着いた後の、さくら妊娠だったんではないだろうか。
高校生で藤隆と子供をもうけたくらいだから、各年くらいで子供に恵まれそうだが、桃矢とさくらはかなり年が離れている。撫子も藤隆も、桃矢を授かるまでの数か月の、薗美さん他との戦いに疲れたのかなと思う。薗美さんは藤隆が撫子を病気にし、若死にさせたと言い切るが、撫子最大のバトルは、VS薗美さんだったのでないかと思う。 |
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