■結婚しないと一人前の男ではない、子供を複数人、なるべくなら男児を得ないとやはり男として半端ものである、というジェンダー的なものが今も昔もあるようです。徒然草にも、そんな事が書いてあったと思います。
それらの是非は私には分かりませんが、もし事実なら、自分が一人前になるために結婚し、子供を授かろうとする事になります。これまた是非は分かりませんが、更にそれらが事実なら、新家庭は自分の理想を体現する所、授かった子供は自身のプレゼンテーションみたいなものという事になります。
自分の価値をプレゼンするためだけに、新家庭と子供を希望する人はいないと思いますが。私の父の言動を観察する分には、ドンピシャだなと思いました。家屋も家族も、この人には新車みたいなもので、人に見せるために獲得したんだなと思います。
■以下、CCさくら感想です。妄想と雑感です。
・何故、撫子は藤隆と結婚したのか。いくら世間知らずのお嬢さんでも、学生結婚・中退・10代で妊娠出産が、ハイリスクである事は分かっていたと思う。無茶が過ぎる。
(撫子の場合、家が金持ち過ぎて、白蓮みたいに15、16歳くらいで見合い結婚するのが、代々家柄的に普通だったんだろうか。また彼女名義の莫大な資産があっただろうから、おカネの不安がなかったのもあったのでは。)
藤隆が、未成年に積極的に性的にアプローチして、引き返せない所まで、エゴで突き進んだとは思えない。撫子は16歳で結婚、桃矢を出産。24歳でさくらを出産、27歳で他界している。ちなみに薗美さんは24歳で結婚、同年知世ちゃんを授かっている。
藤隆というより、撫子にそこまで突き進むエネルギーがあったのではないかと思う。藤隆の性格を思うと、撫子の意思を尊重して何事も決めると思うので、結婚、桃矢を妊娠、7年後にさくらを妊娠出産した事は、撫子の意思だったと思う。
何があのホワンとした性格だったという撫子を突き動かしたかというと、薗美さんだったでのはないかと思う。従姉妹と言うだけで、撫子を愛しまくり、撫子の交遊、恋、勉強、部活動、私生活の全てに、薗美さんは口を出していたと思う。
母親がいないらしい撫子には、薗美さんの存在が頼もしかっただろうか、いい加減薗美さんから逃げ出したかったのかもしれない。撫子のホワンとした外見と振る舞いからは全くうかがい知れなくて、薗美さんはそんな撫子の向上心みたいなものは認めなかったと思う。
全然薗美さんの知らない男性と、交際どころが駆け落ちして、妊娠出産目前ですという所まで推し進めないと、永遠に撫子は薗美さんの所有物だったかもしれない。藤隆の性格と思うと、撫子を終始尊重するだろうから、結婚しても彼女を束縛する事はないと思う。
桃矢を授かった後、自分は幸せですアピールをする撫子。薗美さんは怒り心頭だろうけれども、撫子は自分の人生を譲らなかったらしい。死に目にさえ、薗美さんを呼ぼうとしなかったのは、病に倒れた自分を見れば、薗美さんが藤隆を嵐の様に罵倒するのを見る羽目になるからだろうか。
手紙や、モデルとしての活動を通じてだけで薗美さんと付き合っていた撫子は、生死をかけてまで藤隆、桃矢、さくらとの生活を押し通したのだと思う。さくらは偶然知世と出会い、薗美さんもさくらに出会う事になるが、薗美さんとさくらが出会う事を、撫子は望んでいなかったのかもしれない。
過去の自分の様に、薗美さんの愛でさくらまで束縛されるだろうから。(男児である桃矢については、薗美さんも興味なかったらしい。) |
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