■日文とはみたいなのに初めて触れるのは、名作と呼ばれる作品の「解説」部分なのかなと思います。古典的な小説には、その道の人が説明してくれる「解説」がついています。明治大正の頃の想像ではついていけない面を知るには、最初に読んだ方がいい場合さえある大事なものです。
私の漱石に関する知識は、その辺から仕入れたものです。年齢的に読んでも難しくてわからなかった事もありますが、猫を漱石が書いたのはこんな時代だったとか、虚子が子規がという話なら余さず書いてあったのだろうと思います。
余りに多様な解説があるため、恐れをなしたのか若い私は、「将来こういう解説を書く人になろう」と思わなかった様です。あと本能的に、「これ男しか書けないじゃない」と悟ったのかもしれません。
漱石が虞美人草で藤尾を惨殺したり、三四郎の美禰子がお化けのような書かれ方だったり、劇中で散々「既婚女性はダメ、兎に角ダメになった女」と再三言うのに、ある程度共感していないと、この世界に踏み込めないなと思ったのかもしれません。「男は女よりえらい」という一点を飲まない限り、ついていけない面があった気がします。
■しばらく前に沢木耕太郎の深夜特急を読み終えました。氏の現在の作品を読む機会があるので、つい比べてしまいますが、基本的な部分は変わっていない様な気がします。
深夜特急は香港から英国までの旅です。気持ちの上での終わりはポルトガルです、私はスペイン迄なら行きましたが、ポルトガルには憧れながらまだ行っていないので滞在記をいいなと思いました。
深夜特急で面白いのは、序盤のマカオのあたりだという意見があるそうですが、自分も賛成です。全編面白いのですが氏が言う様に、ヨーロッパに近づくたびに旅が単調になって来ている感じがしました。香港・マカオでのスリル満点の感じはどうしてもトーンダウンします。
氏が旅行慣れしてきているのが分かってしまいます。ノンフィクションという事ですが、ドラマになった方はフィクションとしてハラハラするような場面を添加してあるそうです。
しかし大事なのは、どんな旅行・観光をしたかではなくて。どれだけ旅行中、内面にうったえるものあったのか、自分が変れたかという事なら、深夜特急の楽しみ方は変って来るんだろうなと思います。この旅行を何故主人公が始めたのか、日本に帰って来た後はどうなのかと言う語りがない分、人が「変化」する真っただ中だけ書いた稀有な本なのかもしれません。 |
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