■以下雑感です。自分は文学部卒で社会科学の方、歴史学でした。歴史学は人文科学か社会科学か曖昧なジャンルなのだそうですが、自分は社会科学の方に近いのかなと思います。
合っているか分かりませんが、高校の国語の授業で、例えば鴎外の舞姫のエリスと豊太郎の「心情」を考察する場合があっても、世界史の授業で西太后の「心情」が重要視される事は少ないと思います。
歴史上、活躍して名を残すのは100%近く男性です。日文なら、万葉集の時代から立派な女性達が活躍していますが、歴史と言う観点からは女性の存在が見えません。否、数多の男性までもが統計、記録と言う名の点に過ぎなくなります。
そういう歴史の平等性が好きでした。日文なら、金色夜叉のお宮の思いとか、じっくり読んで考えないとなりませんが、歴史学なら人の苦しみなんて、いちいちカウントされません。(※本当は統計、史料で分かるものをしっかり昇華して、次世代へ何かの残すのが歴史学の使命なのだけれど、私はとてもそこまで出来なかったと言うだけなのかもしれない。)
■温泉に行ったら、普段体で血の通わない部分に血が通り、寒さで糸のようになっていた血管が急にふくらみ、一時苦しくなりました。対処方法はゆっくりお風呂に入る事、十分に水分を取る事、等です。
頭痛に近い感じを味わいながら思った事は。温泉は控えようではなく、いつもこんな血流だったらいいという事でした。普段血圧が100行かない低血圧です。美味しいものを食べて、温かい温泉にいつも通っていたら、もう少し体に活力が出るのかなと思いました。
■宮尾登美子作品をこりずに読んでいます。女性が主人公の時の方が、面白い気がします。錦も仙が主人公なら、面白い活劇になったと思います。失敗すれば人のせい、成功すれば俺の力、なんていう男は、ヒロインの添え物ならまだ読めますが、話の中心に据えるものでしょうか。
そういうピカレスク的な面白い作品もあると思うのですが、宮尾登美子の叙情的な文章には合わないと思います。庭先の一輪の花に自分を寄せてみたり、季節ごとの美しい海面の色合いにうっとりしたりする描写は、どうしても女性のものの様に思います。
司馬遼太郎、井上靖、山岡宗八、横山光輝の書く男は、大体そういうものと無縁の様な気がします。横光なんて、物語・漫画としては最高に面白いのに、女性を描くと幼女も老女も、美女も不美人も全部同じです。わがまま、傲慢具合なら、司馬や井上の書く男達の方が凄惨なのに、宮尾登美子の書く男性の「嫌さ」は肌身で分かる凄みがあって、主役としてはどうかと思いました。 |
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