■学生の頃、東海道本線を在来で東京〜京都を移動できないかと思って、駅員さんに聞いたら驚かれました。路線がある以上可能なのでして8時間くらいかかります。
鉄道の歴史を調べると、在来の本線に乗りたくなりますが、例えば過去の北陸本線・信越本線の様に、はくたか等がないとちょっと難しそうです。在来めぐりと言えば日本海側ならサンダーバード、はくたか等で沢山遊びました。
■宮尾登美子の作品は、地の文が最高だと思います。季節の自然の描写とか、ゾクゾクします。
■藤子・F・不二雄先生の、エスパー魔美を読みました。1〜6巻まで読み、最終回はまだ読んでいません。藤子先生のチンプイとか、少女がヒロインのものを夢中でアニメ等で見ていた記憶があり、最近どうしても読みたくなっていました。
先生は皆「普通の女の子」と言いますが、同級生の男子に、日常的にミニスカートの中身を見られても平気な女の子は余りいないと思うのですが。ショーツに寛容なのは、静香ちゃん以来の先生の漫画の伝統なのかもしれません。
古くはサザエさんのワカメちゃんの例もあり、女の子がパンツ丸出し、相当の年齢まで男親と一緒にフロに入る、体育の水着の授業の前、男子も女子も一緒の教室で着替える、等が普通だった時代もあります。先生が「おかしい」のではない事だけは、意識しています。
些事は別にして。世間はもっとエスパー魔美、チンプイ、またはパーマンのスミレちゃん達に、フィーバーしてもいいのではと思いました。ドラえもんで人気を不動にした先生ですが、漫画全体が飛びぬけて優れているために、まるで新幹線の部品の様に、優秀で個性的な女子達が隠れてしまっている気がします。
近年の魔法少女もので、「シリアスだ」「物語にリアリティがある」と騒がれる場合が少なくないですが、魔美の頃から、「異能者である自分に悩む」「異能であっても万能ではない」「異能と自我のせめぎ合い」「異能でも社会全体を覆せるわけではない」等、色々な描写がありました。
ステッキやバトンで、平凡な女の子が一気に美少女魔女っ子になって大活躍、というのは多分アニメや漫画をちゃんと見ていない人の、根拠のないステレオタイプなんだろうなと思います。女の子も、女の子以外の読者・視聴者も、自分の抱える「苦しみ」にシンパシーをくれる魔美達に心を寄せるのであって、「女は気楽だ」とか言える人には生涯分からない事です。 |
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