■マジシン雑感です。マジックからシンタローへの愛は山よりも高く海よりも深い、で異論は少ないのではと思いますが、シンタローはマジックをどう思っているのかと思うと悩みます。
シンタローが何故、マジックの次の総帥なのかという疑問にもつながります。人類の敵の様な、人殺し集団のトップの座なんて、あの優しかったシンタローさんが何故望むのかと昔南国最終巻を読んで悩みました。
多分シンタローは、マジックの事を肯定したくてならないのだとうと思い、今は納得しています。マジックはシンタロー>世界だけと、シンタローもマジック>世界なのでしょう。
「親父は本当は優しい」「親父は本当はコタローを大切にしようとしていた」「親父は私利私欲で人殺しをしていたんじゃない」「親父はやり方が間違っていただけ」、とシンタローのマジックを肯定したくてならない思いが、マジックの悪行への「正解」としての新総帥なのかなと思っています。
親子と言うだけで、自分の事そこまで信じてくれるシンタローが、マジックはいとしくてならないでしょう。シンタローがそこまでマジックに思い入れ出来るのは、マジックから彼が直接的被害を受けていないからかなと思います。
マジックの甥だった故に、あちこちから攻撃されかねなかっただろうグンマ、マジックにひどい虐待を受けていたコタ、マジックに恩師を殺された高松、などはシンタローの主張を否定しないものの、彼ほど熱いマジック信者ではないのかなと思います。キンちゃんは人生経験のなさが幸いし、マジックについて「親戚のおじさん」止まりの認識でかえって安全なのかもしれません。
■自分は文学部卒です。就活開始直前くらいまで、本気で「将来は研究者」とか思っていました。文学部に入った時点で、将来的にアウトだとはチラホラ聞いていましたが、文学部最後の希望である「教員」になる未来は一向に想像出来ませんでした。
多感な時期、素晴らしい恩師に出会ったことは財産ですが、言う事を聞かない子供達に腹を立てて授業から逃げ出したり、教育委員会の偉い人が来るからと学校中が静まり返ったり、児童達に心無いイジメを受けた後で、遠くの小さな学校に異動になった先生がいたりと、悲惨な大人達の様子を幼心に見ていました。
本が好きだった私に大人達は、「勉強が出来るだけではダメ」とよく言いました。私は本が好きなだけで、本があれば全て上手く行くとは、当時でも思っていなかったと思います。真面目な女性教諭が、恐らく生来のおっちょこちょいさ、生真面目さをかえって子供達に馬鹿にされ、辛そうにしている様子を見たことがありますが、「勉強が出来るだけではダメ」とよく分かりました。
じゃあ何が必要なのかと言えば。コミュニケーションスキルなのだろうと思います。英語やテニスが出来る教員でも、子供達が親近感を持つどころか、先生をストレスのはけ口にしかねない事態が起きるのは、先生に「明朗さに欠ける」「要領が悪い」等の点からなのでしょう。
コミュニケーションスキルが低いと、今後生きていけないと思った私は、常に火事場の何とか力が出せるくらい、自分の好きなものをひっさげて、生きようと若い頃思いました。スキルだの何だのは、「何々のために必要」と思えば嫌でも習得すると経験的に分かっていました。問題はコスモを燃やせるか否かです。
好きなものと暮らせるなら、多少嫌な目、苦しい目にあっても倒れないと思いました。明後日は春コミです、人は何と言うか分かりませんが、自分には遠泳中の息継ぎみたいなものです。 |
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